熊本さんは会見前、死刑廃止を求める団体の勉強会に参加。無罪と思いながら死刑判決を書いた経緯を説明した。
熊本さんは六六年十一月に静岡地裁に着任。第二回公判から審理に加わった。途中から「自白を得るために強引な取り調べをしている。確たる証拠がないからだろう。今の証拠では有罪は無理。『疑わしきは罰せず』に立ち戻るしかない」との思いを強くしたという。
残り二人の裁判官は死刑を主張。二対一で死刑判決が決まった。熊本さんは「説得できなかったのは私の責任」と話した。
結局、主任裁判官だった熊本さんは、無罪との心証を抱いたまま、死刑の判決文を書くことになった。裁判所法は評議の内容を明かすことを禁じている。熊本さんは守秘義務に違反した形となるが、「守秘義務は、裁判官を守るため。明らかにするかしないかは、個人の勝手だ」と述べた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070310/mng_____sya_____013.shtml