北京市西城区のマンション「福綏(すい)境」で昨年十二月、四人の住民が自殺を図った。
自殺は結局、未遂に終わったが、住民らはマンションからの立ち退きを拒み、期日までに退去しなければ強制執行されるとの判決を受けていた。その期限当日に睡眠薬を飲んだという。
八階建て全三百戸のマンションに対し、一昨年二月に始まった退去勧告で、九割の世帯がここを去った。建物は窓ガラスが所々割れ、廊下は昼間も真っ暗。気温が氷点下の真冬でも暖房は止められたままだ。
立ち退きを求めた原告は、マンションを管理する区政府の下部機関「家屋土地管理センター」。「防火設備の不備」を退去要求の理由にするが、五十歳代の住民は「退去後の補償や建物の利用計画など、具体的な説明もないまま突然裁判にかけられた」と語る。
マンションの立地は、北京でも有数のビジネス街の一角。「区政府がわれわれを追い出した後に、建物を改装して高値で売るつもりでは」との疑念は消えない。
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弁護士で、全国組織の「憲法と人権」専業委員会の肖太福・事務局次長は「立ち退きや強制収用の大半を実際は政府が行っていることが問題だ」と指摘する。
もともと国家権力が強い中国では、政府の下部機関か、政府幹部の親類の経営による業者が立ち退きを実施。このため「民間業者は政府幹部から便宜を受けようと、わいろを贈る癒着がなくならない」と話す。
「福綏境」近くに住む元記者、夏毅さん(61)も立ち退きを迫られた。既に半分壊された住宅を前に「庶民が政府と戦う度胸はない。訴えられれば怖くなって泣き寝入りするしかない」と嘆く。
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全人代開幕日の今月五日、温家宝首相は「土地収用や立ち退きなど庶民の利益を損なう問題はいまだに解決していない」と認め、政府が掲げる調和社会の構築には「民主的な法制度の建設を強め、公平で正義のある社会づくりを進めることが最重要」と訴えた。
焦点の「物権法」案も「個人の家屋を収用する場合は、被収用者の居住条件に見合う補償をしなければならない」などと規定。収用に伴うわいろや流用を厳しく禁じる内容だ。
しかし、その実効性には疑問が残る。
今月三日、元弁護士の倪(げい)玉蘭さん(46)が突然数人の警官に連行された。自身も立ち退きを迫られた倪さんは〇二年に、立ち退き強制の実態を告発しようとして当局に拘束され、暴行を受けて車いす生活を余儀なくされたことがある。
今回も全人代の開幕を控え、倪さんに「告発させないよう軟禁したのでは」と、夫の董継勤さん(55)は推測する。自宅は二十四時間監視され「妻は丸二日間食事も取れず、古傷が痛んでも警察は医者に見せようとしなかった」という。
「福綏境」の女性住民は「われわれの生活すら保障されないのに、何が『調和社会』だ。全人代の代表に訴えようとしても警備に追い出され脅される。(全人代会場の)天安門までは何と遠いことか」と、むなしさを口にした。
<メモ>物権法 社会主義国の中国では土地は国有だが、「改革開放」政策に伴う経済発展で個人の所有権も拡大した。このため、国と個人の所有権や処分権の範囲を規定する必要性が高まり、2004年の全人代で「私有財産の不可侵」を明記した憲法改正を実施。その具体的な規定として今年の全人代で提案された。法案では国や個人の物権は不可侵とし、不動産登記や担保権なども規定して市場経済に必要な法制度をほぼ整備。逆に「資本主義化の加速」を懸念する声も出ている。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20070310/mng_____kakushin000.shtml