◆記事や聞き取りで再構築
ノンフィクション作家、布施克彦さん(59)が『昭和33年』(筑摩書房)の執筆を思いついたのは、大ヒット映画「ALWAYS 三丁目の夕日」に涙した後だった。
「貧しくとも希望に満ちて生きていく市井の人々の姿に感動した。でも、団塊世代で当時10歳の私から見たとき、ちょっと違うような気もした。その後の高度成長を知った者による後付けの歴史観ではないか、と思ったんです」
著書では、10歳の記憶を足がかりに新聞の縮刷版などにあたり、この年の実像を再構築していった。神武景気が終わり、岩戸景気に向かう端境期、新聞紙面はむしろ、暗いムードに満ちていた。
「結局、いまも昔も日本人は昔はよかった症候群。現在だって後で振り返れば、なんてことないかもしれない」
1974年、自ら通っていた小学校で何が起きていたのか——。明治学院大教授(政治思想史)の原武史さん(44)による「滝山コミューン一九七四」は、東京郊外の大規模団地の小学校で実践された「運動」を、体験した筆者がつづっている。昨年、文芸誌「群像」に掲載されて評判を呼び、5月、講談社から単行本が刊行される。
民主的な学校の確立を目指して住民と教師が一体となり、児童に主体性を持たせた「集団づくり」に取り組む。しかし、原さんが「滝山コミューン」と名付けた共同体の「集団主義」は三十数年後まで自身の心に傷を残した。
記述は当時の教師や同窓生らへの膨大な取材に基づいている。多様な資料を引き、取り組みが一地域の特殊事例でなく、いまでは忘れ去られた教育運動に裏打ちされていたことを明るみに出してゆく。
ほかにも『ハイスクール1968』(四方田犬彦著、新潮社)や『1968年』(スガ(糸へんに圭)秀実著、筑摩書房)など、ある1年を扱った本は多い。
◆画一的歴史観に異議唱える
テレビ番組でも同様の試みがある。NHKBS2の「日めくりタイムトラベル」。昭和のある1年に焦点をあてた番組だ。今年1月3日の放送は「昭和42年」。同年生まれと、その年活躍していた著名人グループが、語り合う。
「ザ・タイガースはモーニング娘。みたい」と生誕組が語れば、「四日市ぜんそく訴訟」の歴史的な重みを年配組が語る。一方で、「ミニスカートに女性が一斉に飛びついた」不思議さと不気味さを共有する。次回は4月7日、「昭和47年」を扱う。
なぜ、特定の1年から歴史を語ろうとするのか。
「一九七四」の原さんは「60年代は政治の季節で、70年代は“私”優先の時代と言われます。でも、時代は潮がひくように変わるわけでなく、前の時代の理想が見えないところで力を持っている。断片資料をつなぎ合わせてしか書けない歴史を、自分の記憶を武器にして書くことで、画一的な歴史観に異議を申し立てる試みでした」と話す。
「日めくり」の大泉謙プロデューサー(42)も「歴史とは資料だけを頼りに語るものなのか。思い出と歴史を組み合わせると懐かしさだけでない驚きがある」と語る。
そんな「1年史」の先駆けといわれるのが、03年の『一九七二 「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」』(文芸春秋)だ。評論家、坪内祐三さん(48)が雑誌記事などにあたり、14歳の自分の記憶と世相をつなぎ合わせていった一冊だ。
「イデオロギー対立が鮮明だった60年代までは、それぞれの立場が“客観的”な歴史があるかのように思っていた。しかし、いま歴史を語ることが難しい」と坪内さんは話し、理由に80年代からのビデオの急速な普及をあげる。
「後からの世代が過去の“記憶”に簡単にアクセスできるようになり、それぞれ小さな歴史観を作り始める。昨今の昭和懐古ブームも、過去を知らない世代によるインチキレトロのような気がします。だからこそ、その時代を知る個人が自らの記憶を頼りに1年を実証していく手法があり得るのではないか」
坪内さんは「1年史」の今後について、こう話した。
「個人がしっかりと論考を積み重ねていけばいい。72年も別の世代に補完してもらいたいし、大事件で語られがちな95年を当時14歳だった人の文章で読んでみたい。そういうつながりが、歴史に新しい光を与えるように思います」
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200703080159.html