「ここ一面に黒こげの死体が埋められていたなんて、信じられませんよね」。東京都墨田区の錦糸公園。遊具で楽しそうに遊ぶ子どもたちを見ながら、広瀬さんが話す。
一九四五年三月十日未明の東京大空襲。米軍の爆撃で下町一帯は火の海に包まれ、十万人以上とされる死者が出た。あまりに多いため火葬が間に合わず、遺体は公園や寺院、学校などにそのまま埋葬された。錦糸公園には約一万三千人が埋められたという。
この大空襲を中心に百回以上繰り返された東京の空襲で、錦糸公園のような仮埋葬地が各地に設けられた。遺体は終戦後の一九四八年から数年かけて掘り返され、改めて火葬された。遺骨は墨田区横網の都慰霊堂に移された。
広瀬さんが仮埋葬地を訪ね始めたのは、二〇〇五年春。その二年前、弟を病気で亡くしていた。「人間はいつ死ぬか分からない」。中学校の理科講師を辞め、好きだった写真の道を進もうと決意した。
「東京大空襲六十年」の報道で、十万人が亡くなった事実を知って衝撃を受けたことが、この問題に取り組むきっかけだった。犠牲者遺族会から、特定できる仮埋葬地九十カ所のリストをもらった。撮影のアルバイトをする傍ら、既に八十カ所以上を訪ねた。
「慰霊碑や地蔵があるのはごく一部。あとは痕跡が何もない。あまりに風景が普通すぎてびっくりした」と振り返る。「これだけの死者が出たのに、広島や長崎に比べたら東京大空襲は無視されているも同然と思う。たった六十二年前、罪もない人たちがこんな普通の場所に大勢埋められた。そのことはもっと知られていい。誰かがやるべき仕事だと思ったんです」
昨年夏からは大空襲の体験者も二十人以上訪ねた。「会ってみると、普通のすてきなおじいちゃま、おばあちゃまたちだった」。その人たちが今も「自分だけ生き残ってしまった」というつらい記憶をひきずる。「写真でその思いをどう表現できるのか。本当に難しい」
大空襲直後に撮られた一枚の写真が、広瀬さんの心に残る。真っ黒に焦げた少女が写っている。「あの女の子は私より若いんだろうな。無念さを思うと、私も頑張ろうと思うんです」。納得いくまで撮れたら、写真展を開くつもりだ。そして「見過ごされてきたもの」を、これからの撮影テーマにしようと思っている。
文・石井敬/紙面構成・岡博大
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20070308/mng_____thatu___000.shtml