海老名さんは国民学校五年生で静岡県に疎開中、大空襲で両親や兄弟など家族六人を失った。
「どこにもお参りするところがない」。多くの遺体が仮埋葬された上野の地に、碑をつくりたいと長年、奔走。一昨年三月、JR上野駅北側の寛永寺現龍院の敷地に慰霊碑「哀しみの東京大空襲」を、上野公園いこいの広場に、母子像「時忘れじの塔」を建てた。
昨年の一周年式典にも多くの人たちが参列した。年々、高齢化する被災者や遺族たちは、今も碑の前で涙を流し、手を合わせている。
この一年間にも、海老名さんの元には全国の遺族や被災者から「行って手を合わせることができました」という電話や、「体が動かず行けない。お花を供えてあげてほしい」とお金を添えた手紙などが多数届いている。
「『おやじやおふくろが死んだんだ』って、七十代、八十代の人たちが泣くんですよ。いくら時がたっても忘れられるものではないんです」
海老名さんは昨年、政府の教育再生会議の委員に起用された。家庭や地域で「親孝行の子を育てよう」と、会議で訴えている。親や兄弟を戦争で亡くした遺族の姿に触れることが、子どもたちの心をはぐくむことにもつながると感じている。
「そのためには、身をもって体験した人が話していくしかない。体験を語ることはつらく苦しいけれど、涙を流してもいい、私たちが伝えていかなくては」。今年も「哀しみの日」を前に、海老名さんは思いを新たにしている。
今回、参加する竹台高校吹奏楽部は、都吹奏楽コンクールA組の部で三年連続金賞を受賞している実力校。慰霊碑のある寛永寺現龍院が近くにあり、学校側から参加の申し出があったという。
式典は、午前十時から慰霊碑前で、同十一時半から母子像前で、それぞれ開かれる。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20070305/lcl_____tko_____000.shtml