◆機雷探査し除去 命がけの「黒衣」
音が頼りの職人技
艦艇23隻、航空機13機、延べ1300人が参加する海上自衛隊の掃海訓練が、中津港沖の周防灘で2月15日から27日まで行われた。海自が募った同行取材への参加を希望し、22日午前6時50分、冷たい風が吹く中津港から、掃海艇「のとじま」に乗り込んだ。(安田桂子)
気温3・8度、風速約3メートル、曇り。波は穏やかなのだが、出航してすぐに、体を左右に押されるような揺れを感じた。
「『のとじま』は木船で、波間に浮かぶように進むから揺れやすいんですよ」と案内役の掃海隊群司令部、森泰二2等海佐(50)。磁気や音に反応して爆発する機雷に近づくには、磁気を発さず、音をもらさない木船が適しているらしい。衝撃を伝えにくく、「金属性の船に乗るよりも疲れにくい」のだという。
訓練は、中津港の沖合約10キロの、8キロ×15キロの長方形を描く海域で行われた。敵が敷設した機雷を3日間で除去するという想定だ。
《正午過ぎ。爆発しない模擬機雷を使って、空から機雷を投下する航空機を艦上から確認する訓練が始まった》
灰色の救命胴衣を着た隊員が、艦上で配置につく。
風が吹きつける船先で身をかがめてカメラを構えていると、双眼鏡を手にした隊員が「西、ひと、やー、まる」と声を上げ始めた。独特の呼び方で、航空機の方角を機関砲の隊員に伝えている。
10秒ほどたってようやく、薄雲の合間を航空機が飛んでいるのが見えた。模擬機雷を次々に投下している。実戦では航空機を視認したら、機雷をまかれる前に撃墜する——これが鉄則なのだ。
《午後1時半。今度は、敷設された模擬機雷の除去訓練が始まった》
船底から伸ばしたソナーで、ある一定の周波数を出し、返ってきた音を映像化して機雷かどうかを見きわめる。広い海中で、音を手がかりに機雷を見つけるのは「職人技」だ。
5分ほどすると、水深約13メートルで浮遊する機雷を発見。「無人小型探査機」を操作し、時限爆弾を取り付けて機雷を誘爆させる。「せーい」という合図で、機雷は無事に取り除かれた。
潮の流れが速く、視界が効かない海中では、探査機を使わず、「水中処分員」が潜って機雷を処分する。処分員は小型ソナーを手に、1秒動いては3秒止まる動作を繰り返しながら、機雷に近づいて行く。針の穴に糸を通すような緊張が続く。
◆漁業補償巡り訓練に壁
掃海部隊の歴史は長い。
第2次大戦終了後、日本の主要港湾や海峡は、旧日本軍や米軍が敷設した約7万個の機雷でふさがれた。それを除去し、航路を開く任務にあたったのが、旧海軍を前身とする掃海部隊だった。
その後も、朝鮮戦争が始まった50年に、朝鮮半島海域で国連軍の上陸作戦を支援。91年には湾岸戦争後のペルシャ湾で、34個の機雷を処分した。
「しかし、国民はそのことを忘れ去ってしまった」と掃海隊群司令の加藤耕司海将補(53)は話す。最近は、漁業補償の問題で地元漁業関係者と折り合いが付かず、訓練を中止せざるを得ないこともあるという。
この漁業補償金をめぐっては、大分県の県漁協の支店が、一部を流用していたことが昨年発覚して問題になった。
「日本は原油や食料などを外国に頼る輸入大国。日本から離れた地域であっても、機雷によって船の迂回(う・かい)を余儀なくされれば、経済的な影響は計り知れない。それを最小限にとどめる能力を私たちは日々磨いている」
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「悪魔の兵器」と呼ばれる地雷と同じように、機雷もまた、比較的安価で手に入り、殺傷能力も高い。浮遊機雷は潮にのって流れるため、戦争の当事国でなくとも被害にあう危険性がある。
「主役じゃなくて、いぶし銀の脇役」。その必要性と高い能力とは対照的に、一般的には認知度の低い掃海隊をそう表現した森2佐の言葉が、印象的だった。
◆機雷と掃海訓練
掃海訓練と機雷 機雷は海面や海中に仕掛けられ、艦船が接触したり、近づいたりすると起爆する兵器。接触すると爆発する「触発機雷」と、艦船の音や磁気、水圧に反応する「感応機雷」がある。仕掛け方も様々で、海面に漂う「浮遊機雷」、海底に沈む「沈底(ちん・てい)機雷」、海底の重りとひもでつながった「係維(けい・い)機雷」がある。海自はほぼ毎年、これらの機雷を取り除いたり、または敷設したりする能力の維持と向上などを目的に、陸奥湾(7月)、日向灘(11月)、周防灘(2月)で訓練を実施している。
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