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2007年02月24日(土) 00時00分

12人無罪 許せぬでっちあげ捜査 東京新聞

 鹿児島県議選の買収事件で、裁判所が十二被告全員を無罪とし、事件の存在自体を事実上否定した。捜査当局によるでっちあげ、ということになる。こんな公権力の無法を許してはならない。

 事件は二〇〇三年四月の鹿児島県議選で、立候補予定者が現金を配って、票の取りまとめを依頼したとされる。警察の取り調べは、「まるでキリシタン弾圧」というほどひどかったらしい。

 刑事裁判の一方で「不当な取り調べで捜査当局の筋書き通りの自白を強要された」などと国家賠償請求訴訟も起きた。その一つで勝訴の確定したホテル経営者は、連日の取り調べの途中、警察の捜査員に足をつかまれ、「こんな人間に育てた覚えはない」という内容の“実父の言葉”が記された紙などを踏まされた。「踏み絵」ならぬ「踏み字」だ。常軌を逸した人権侵害である。

 なりふり構わず自白させようとした密室での警察の取り調べに対し、補充捜査で検証するのが役割の検察は、何をしていたのか。

 買収資金の出所や調達方法、買収の相談をした会合に出したとされる料理を注文した店も特定できない。しかも、検察が示した会合の日時には、立候補予定者にアリバイがあった。穴だらけの調書、物証なしの捜査をうのみにして起訴した責任は重大である。

 裁判所が直接現場検証に乗り出して、アリバイ成立の可能性を明らかにし、自白が長時間の取り調べで苦しまぎれになされたり、誘導された可能性を指摘し、被告全員に無罪を言い渡したのは評価する。

 しかし被告の中には、百日以上も拘置された人もいる。「否認しているから」と安易に身柄を拘束するのも、人権侵害だ。逮捕状や拘置、保釈請求の諾否に当たっては、裁判所も警察、検察の言いなりにならず、公正な判断をすべきである。

 公選法違反事件は高齢者や女性を対象に自白を強要する捜査で、冤罪(えんざい)に終わる事例が目立つ。一九八六年七月の参院選大阪選挙区の買収・供応事件では百二十余の被告全員が、九〇年二月の衆院選愛媛1区の買収事件では四十三被告が無罪となった。いずれも自白の信用性が否定された結果だ。

 ことしも統一地方選挙が控えている。民主主義社会で選挙の公正は大切である。しかしでっちあげの捜査で無実の人を陥れるのは、法治国家で最も恥ずべきことだ。

 鹿児島の事例を繰り返してはいけない。検察が控訴を断念するのは当然のことだ。さもないと国民の司法への不信はさらに高まるだろう。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20070224/col_____sha_____002.shtml