50〜60年代に賭け将棋で生計を立てる「真剣師」として全国に名をはせた。全盛期にはアマの公式戦には登場しなかったが、対戦相手を求めて青森から九州まで放浪し、各地で勝負強さを発揮した。77年に、63歳で第1回朝日アマチュア将棋名人戦(朝日新聞社主催)で全国優勝。初代朝日アマ名人になり、初めての“表舞台”で実力をみせつけた。
神奈川県横須賀市生まれ。鳥取県倉吉市で育った。将棋を本格的に始めたのは30歳になってから。地元のアマ強豪の手ほどきで腕をあげ、真剣師の生活に入った。
70年代に入り、高額の賭け将棋の機会が減ってからは、大阪・通天閣近くの将棋道場で1局500円で指導していた。96〜97年に放送されたNHKのドラマ「ふたりっ子」では、ヒロインに将棋を教える「銀じい」のモデルになり、一躍有名になった。
05年に体調を崩し入院していた。