田遊びは稲作の季節を前に五穀豊穣(ほうじょう)を祈る「予祝(よしゅく)」の意味がある。種まきから収穫に至る稲作の一連の作業を、所作と唱え言葉で再現する点が珍しい。徳丸は千年以上、赤塚は少なくとも江戸時代にさかのぼる。一九七六年に両地域合わせて「板橋の田遊び」として文化財に指定された。
赤塚諏訪神社では、みこしが天狗(てんぐ)とともに境内から数百メートル渡御。勇壮な太鼓に合わせ、花籠(かご)に破魔矢が向かい、厄を落とした。田んぼに見立てた約二メートル四方の「もがり」(竹製の柵)の中で言葉を唱えながら米作りを模倣。徳丸北野神社では、もがりの中でのみ神事が行われた。
区内には現在、生産用の田んぼはない。徳丸北野神社田遊び保存会の石田彪会長(72)は、「田植えや稲刈りを見たこともない人には、ピンとこないよう」と、都市化した現代に稲作神事を維持する難しさを語る。
会員不足や高齢化も課題。徳丸では、かつての農家の後継者に限っているが、みこし担ぎなど人手が必要な赤塚では、新住民も受け入れている。赤塚の保存会の本橋金蔵会長(73)は「文化財を残すために、できるだけのことをしたい」と話している。 (松村裕子)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tko/20070214/lcl_____tko_____001.shtml