日本被団協代表委員で県被団協理事長の坪井直さん(81)が今月13、14の両日にアルジェリアの首都アルジェである国際会議に出席する。同国を植民地にしていたフランスが、60年代にサハラ砂漠で実施した核実験をテーマにした会議で、62年前のあの日の体験や被爆者運動の歴史を語り、核実験場跡も見学する。「世界中のヒバクシャに国境があろうか。一致団結せないかん」と11日に出発する。(宮崎勇作)
同国の国防省にあたる「イスラム戦士省」などが主催する「世界の核実験に関する国際会議 アルジェリア領サハラの場合」。実験場で働き、健康被害に苦しむアルジェリア人やフランス人の元軍人のほか、医師や弁護士らも加わり、健康や環境への影響、補償問題を話し合う。出席メンバーで実験場跡を視察する。
アルジェリアの面積は日本の約6倍。フランスの研究機関によると、フランスは60〜61年、サハラ砂漠にあるレッガーヌで大気圏内核実験を4回実施。62年に同国が独立する前後には、南部のインエケルで13回(61〜66年)の地下核実験をした。
原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が、02年夏に広島であった世界大会に、アルジェリアやフランス領ポリネシアの核実験被害者を呼んだことから、交流が続いていた。アルジェリアでは、核実験場で働き、全身の倦怠(けん・たい)感や血便などの症状に苦しむ元軍人が中心になって被害者の掘り起こしを始めたばかり。被爆者運動の先頭に立つ坪井さんに講演の依頼が来たという。
原水禁メンバーで、フランス核実験の被害を調べている神戸市外大講師の真下俊樹さんと、チェルノブイリ原発事故(86年)で被曝(ひ・ばく)した患者を支援する医師振津かつみさん(放射線医学)が同行する。
11日の出発を前に坪井さんは、会議の2日目に話す10分間のスピーチの内容をまとめた。
「私は20歳の大学生で、通学途中の路上で……」。爆心地から1・1キロで被爆。顔、両手、両足や背中にやけどを負った。両耳はちぎれてぶら下がっていた。終戦を前に約40日間の意識不明に陥り、2年後には赤血球、白血球、血小板のすべてが減少する再生不良貧血症を発症。その後も狭心症、大腸がん、前立腺がんに苦しみ、10回の入退院を繰り返した。
かかりつけの医師から「行くなとは言えない。長い旅は無理だが、10日程度なら」と言われた。貧血を防ぐ造血剤や、狭心症の薬で血管を広げるニトログリセリンなど十数種類の薬を忍ばせる。「お守りがあるしの」。既往症と治療法を書いてもらった現地の医師への紹介状を握りしめた。
アルジェリアでは90年代前半からイスラム原理主義過激派のテロが続く。首都では治安が回復しつつあるが、92年からの国家非常事態宣言が布告されたままだ。「まだやることが残っとる。『危ない、怖い』じゃ、世界は動きやせん」
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