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「小さな接触事故でけがをしたのかな、と思いました」
事故の一報を受けたのは、二〇〇二年十月二十日の午前零時ごろ。前日に一緒に昼食を食べ、つい二時間ほど前には「今、山口にいる」と元気な声で電話してきたばかりだった。「間違いであってほしい」。そう祈りながら病院に向かったが、夫は既に帰らぬ人となっていた。二年前に建てたマイホームに子ども三人と残され、ぼうぜんとした。
夫は被疑者死亡のまま道交法(安全運転義務)違反の疑いで書類送検された。三菱自がようやく欠陥を公表したのは、〇四年五月。三菱ふそうの当時の副社長らが自宅に謝罪に訪れたが、許せるはずもない。焼香を断り、仏壇をついたてで隠した。
その後、謝罪の手紙があった元取締役村田有造被告(69)ら二被告との示談に応じたが、公判で二被告は、ほかの二被告とともに無罪を主張する。「罪を認めたのに。本当に信じられない」と不信感を募らせる。
責任感が強く、曲がったことが嫌いだった夫。それとはあまりにかけ離れた三菱自の体質に、怒りを覚える。「(社内に)一人でも強い意志を持って(リコールしないことに)反対する意見があれば、主人は死ぬことはなかった。今も生きていた」。夫の写真を包んだハンカチを握りしめ、妻は声を震わせた。 (佐藤大)
<メモ>山口県の運転手死亡事故 2002年10月19日、山口県熊毛町(現・周南市)の県道交差点で、走行中の三菱自動車製の冷凍車(9トン)から、クラッチの欠陥で動力を後輪に伝えるプロペラシャフトが脱落。これが原因でブレーキパイプが損傷し、冷凍車は制御不能となり、横断地下道路出入り口に衝突。鹿児島県国分市(現・霧島市)の男性運転手=当時(39)=が死亡した。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kgw/20070208/lcl_____kgw_____002.shtml