キャシー・カレガリ報道担当によると、書類は米国のヘブライ移民支援協会が保管し、YIVOに移管した資料の中にあった。
手紙は、41年4月30日からドイツが米国に宣戦布告した同12月11日までアムステルダムから発送された。ナチを逃れてドイツから移り住んだオランダでもナチの支配が強まり、米国かキューバに家族を脱出させるための相談、手続きの書類だ。オットーが迫る危険を感じ、懸命に家族の脱出をはかった様子がうかがえるという。手紙の受取人の1人はオットーの友人で、ニューヨークの著名なデパート・メイシーズの創始者の息子だった。
フランク一家は44年に密告によってナチの保安警察に捕まった。オットーと妻、アンネら娘2人は強制収容所に送られ、生きて戻ったのは父親だけだった。オットーは戦後、アンネの日記を保管していた支援者から受け取り、47年に出版した。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200701260390.html