判決によると、笠松被告は04年春にNHKに入局後、先輩記者らから厳しい指導を受け、うつ病だと感じて05年4月に精神科診療所で受診。実際は躁状態だったのに重度のうつ病と誤解し、記者としての将来を悲観した。判決は、笠松被告が重度の躁状態だったとする精神鑑定を支持し、犯行当時は心神耗弱状態だったと判断。しかし、犯行当時の記憶は正確で善悪の判断はできたとし、動機については「衝動的に放火に及び、気が紛れたことから連続放火に及んだ」と結論づけた。
判決によると、笠松被告は05年5月15日未明、大津市で民家に火をつけて全焼させるなど、同年4〜5月に同市内で計7件の放火と放火未遂を繰り返し、同年6月5日にも岸和田市の建築中の民家に放火しようとした。
裁判で、弁護側は、笠松被告が犯行当時、自分の行動を抑制できなかったと主張し、犯行当時は心神喪失か心神耗弱状態だったとして、無罪か減刑を求めていた。
一方の検察側は「先輩記者らからの叱責(しっせき)に大きなストレスを感じ、気を紛らわせようとして放火した」と指摘していた。
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