「4月1日付で仙台地検に行ってもらう」
2005年1月、東京地検11階の次席検事室。異動先の内示を受けた刑事部検事、熊谷明彦さん(42)は、その場で即答できなかった。
妻は弁護士で共働き。地方勤務になれば、妻と1歳に満たない長女を残して単身赴任だ。「少し考えさせてもらえませんか」。自室に戻ったが、妙案がないまま、妻の職場に電話した。
<心配していたことが現実となった>
理香さん(42)は、受話器を握り締めながら思った。実は、2人の生活を巡って、明彦さんが仕事上の決断を迫られたのは、これが2回目。最初の時のことを思い出して言った。「あなたのやりたいようにしていいから」
検事の仕事をずっと続けたいと思っていたが、妻と子との生活が両立できないのなら——。その日の午後、明彦さんは再び、次席検事室を訪れた。
「3月でやめることにします」
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理香さんとは司法修習時代の同期。仲間と一緒に飲みに行く仲だったが、検事と弁護士、別々の道を歩んだ。
明彦さんは、横浜地検横須賀支部に着任した。検事の生活は忙しく、昔の仲間と会いたくてもなかなか予定が合わない。そんな時、気軽に誘いに応じてくれたのが、横浜市内の実家に住む理香さんだった。「ちょっと時間が空いたから」と声を掛けると、駆けつけてくれた。
自然に交際が始まり、「好きな仕事」に打ち込む姿にひかれ合った。明彦さんが1999年に東京に異動してからは、杉並区内の官舎で一緒に過ごす時間が増えた。長女を授かったのを機に、03年8月結婚した。
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「僕が育児休暇を取る」
妊娠6か月の時、明彦さんは決断した。さっそうと働く彼女から、「仕事を奪うことはできない」。自然にそう考えた。
一方の理香さん。検察庁という保守的な組織の中で、あえて自ら仕事を休むと言い出してくれた夫に、「一緒になって良かった」と見上げる思いだった。
理香さんの両親は強く反対した。「彼の将来をつぶしてしまう」。明彦さんも上司から「風当たりは強いぞ」と忠告された。男性検事では2例目。「やっぱり少ないな」と痛感した。
育休中は仕事のことを忘れ、子育てに夢中になった。「最初は哺乳(ほにゅう)瓶になかなか慣れず、泣かれて泣かれて大変だった」。でも戸惑ったのは最初の1週間だけ。日々、我が子の成長を目の当たりにできる生活は充実していた。
妻の新たな一面も見つけた。子をあやす母親としての姿を見て、「結婚してよかった」と心から思った。
「育休を取ることには抵抗があったはず」。理香さんは、夫の気持ちをそう察していた。組織の中で生きていくためにも、次は夫がしたいようにさせてあげたい。心に決めた。
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検事をやめた後は、弁護士に転身。妻とは別の事務所に籍を置いた。忙しさはあまり変わらないが、今は2歳になった長女の保育園送りをするよう心がけている。お迎えは理香さん。子育ては夫婦が協力し合う。
今は経験を生かして刑事事件を手掛けることが多いが、新しい「肩書」もついた。男女や家族の問題に詳しい法律家。妻のために育休を取り、退官までした異色の経歴に「一家言あるヤツと思われたのかな」と笑う。
昨年は、男女共同参画シンポジウムで、討論会の司会に起用された。思わぬ仕事だったが、「男性と女性の双方にとって意義のあること。とてもやりがいを感じている」。
結婚から3年半。互いの立場を尊重しながら人生の選択をしていくうちに、自然と2人の気持ちも深まった。
「いろいろな事を経て、夫婦として地に足がついてきたな、という感じ。これからもずっと一緒にいたい」
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時代の流れとともに、男女をとりまく環境も、変化しつつあります。それでも、恋する気持ちや、夫婦がともに思う心に変わりはありません。あなたはときめいてますか——。(おわり)
(この連載は滝鼻太郎、吉池亮、稲葉洋文、井上陽子が担当しました)
退職、休業は少数派 内閣府の調査では、20歳〜49歳男女のうち、育児のために「生活を変える」と答えた男性は計56・6%、女性は計72・6%。男性の場合、「余暇を減らす」が半数で、退職や育児休業制度を利用するとしたのは少数派。
http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/rensai/20070109ok02.htm