羽田空港内で笑顔を見せる(左から)真後慶子さん、石井薫さん、山根恭子さん
全日空東京空港支店旅客課の山根恭子さん(27)が初めて墜落現場にある「慰霊の森」を訪れたのは5年前。同期に勧められ、休日を利用して職場仲間5人と向かった。木々に囲まれた山奥の碑には、犠牲者の名前とともに自分の会社の名前が刻まれていた。
「こんなことがあったなんて知らなかった」。恥ずかしいと同時に、目先の仕事に追われて、空港で働きたいと思い入社した初心を忘れかけていた自分に気がついた。
その後も町に通い、町長に会って話を聞き、町の図書館で当時の資料を読んだ。親を失った子どもたちの作文には胸がつまった。仲間と毎秋、自主的に慰霊碑を清掃する活動を始めた。その様子をビデオに撮って職場で見てもらった。運航と直接関係ない職場だが、多くの仲間が関心を寄せた。役員会でも上映した。「感激して涙を浮かべた役員もいた」と、大橋洋治会長は話す。
職場仲間の真後慶子(しんご・よしこ)さん(28)は05年、JR宝塚線の脱線事故をきっかけに、事故の教訓を伝える施設の設置を社内ネットで提案した。「山根さんたちの活動で雫石を知らなければ思いつかなかった」と話す。同僚の石井薫さん(27)も応じ、3人の熱意に会社も設置を打ち出した。
「安全教育センター」は東京都大田区の同社ビル内に設置される。雫石事故のほか、東京湾墜落事故(66年)や松山沖墜落事故(同)などの資料も集め、どうすれば事故を防げるかを社員が学べるようにする。
日航も06年4月に墜落したジャンボ機の残骸(ざんがい)を集めた施設を開設し、JR東日本も02年に事故の歴史展示館を設けた。そんな動きのなかで、山根さんは「施設ができても清掃活動が私の原点」という。「あそこに行けばさまざまなことを感じるし、一緒に清掃すれば誰とでも知りあえますから」
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〈キーワード:雫石事故〉 1971年7月30日午後2時過ぎ、岩手県雫石町の上空約8500メートルで、千歳発羽田行きの全日空B727型機と、訓練中だった航空自衛隊の戦闘機F86Fが接触し墜落。自衛隊機の訓練生は脱出したが、全日空機の乗客乗員162人全員が死亡した。1985年に日本航空のジャンボ機が群馬県の御巣鷹の尾根に墜落するまで、国内最大の航空事故だった。
http://www.asahi.com/national/update/0113/TKY200701130249.html