建物は、愛知万博総合プロデューサーを務めた世界的建築家・菊竹清訓氏(78)が設計。高さ百十二メートル、二十六階建てのビルは、階段状の四層のユニットが垂直に五つ積み重なる特異な形で、「五重塔」も連想される。
原点は一九六〇年代にさかのぼる。菊竹氏は建築家仲間の黒川紀章氏らと「メタボリズム(新陳代謝)」運動を展開。建築を生物のようにとらえる、この理念に基づいて、六八年に、幹のような支柱に部屋を枝葉のように配した「樹状住居」のプランを発表した。
九四年に完成し、「ホテル COSIMA」としてオープンした全八十三室の旧ホテルは、四半世紀を経てやっと実現した「樹状住居」だった。建物の周辺への日照や通風を確保できるのが特徴で、菊竹氏は「(日本でも)高温多湿の風土を無視した西欧風のビルが主流となり、余計なエネルギーが使われている。日本には日本のビルが必要だ」と言う。
しかし、遠目からも目立つビルには、賛否両論があり、地元住民らから「不忍池の景観を破壊した」と反発の声が上がったこともあった。
建物は「ソフィテル」を世界展開する、仏系チェーン・アコーホテルズに売却された後も、ソフィテル東京として営業を続けていたが、「高級化と規模拡大を図るため、都心に移転する」(アコーホテルズ日本地区営業部)ことになり、先月中旬に営業を終了した。
建物は三井不動産のグループ会社が取得。再利用は難しいとして、建て替えることにした。「近日中に解体に着手する。新たな建物についてはマンションも含め検討中」(三井不動産広報グループ)という。
思い入れの深いビルの解体に、菊竹氏は「ホテルの営業終了日に(三井側から解体するとの)連絡が入り、びっくりした。ホテルがだめでも住宅転用は可能なのに、なぜ壊すのか。きっと“真四角”のビルが建つのだろう。経済効率一本やりで、都市環境を顧みない考え方には、憤りを感じる」と反発している。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070113/eve_____sya_____002.shtml