午後1時、発電所の中央制御室では、運転員や国の検査官に加え、森本浩志・原子力事業本部長ら幹部も再起動作業開始に立ち会った。当直課長の「臨界操作開始」の声を合図に、運転員が緊張の面持ちで制御棒を引き抜くレバーを動かした。
しかし、核分裂反応が想定通りに進まず、午後2時過ぎ、1次冷却水中のホウ素濃度が高すぎたことが判明。配管に9トンの水を入れて薄める予定外の作業を強いられた。
関電は午後6時から県庁と敦賀市役所で相次ぎ会見。広報担当者らは「ホウ素濃度を安全側に設定したため。調整の範囲内だ」との説明に終始した。
県原子力安全対策課は「手順のミスで技術的には問題ないが、県民が注目する中でちょっとしたことが不安を招きかねない」とし、美浜発電所に立ち入り調査に入っていた森阪輝次課長は、より慎重な作業を関電に申し入れた。
一方、反原発団体「原子力発電に反対する福井県民会議」のメンバー8人が関電原子力事業本部(美浜町)を訪れ、再起動に抗議する文書を提出。小木曽美和子事務局長(70)は「関電は美浜2号機の蒸気発生器細管破断など重大事故を繰り返して来た。今度の再発防止策が有効に機能するか疑問だ」と指摘した。
美浜町の住民の受け止め方は様々。松下正・町商工会長(74)は「事業本部の移転で、関電と本音で話す機会が増えた。今後は地元企業のつもりで地域の活性化に力を尽くしてほしい」と期待。
事故当時、発電所のある丹生地区の区長だった庄山静夫さん(54)は「キャンセルの相次いだ民宿も客足が回復していると聞く。今後は事故を契機に改善した点を継続するよう望むだけだ」と話した。
前町議の松下照幸さん(58)は「県警の捜査結果をまたずに運転を再開するのは、県民に対する背信だ。責任を明らかにすることが、信頼を得るスタートではないのか」と批判した。
■品質管理者 田岡さん代償あまりに大きく■
「どんな経緯でミスが起きたかまでわかる」。関電美浜原発3号機の配管破損事故で亡くなった検査会社「木内計測」社員田岡英司さん(当時46歳)が、大学ノートに記載した作業日誌に目を通した同僚らは、口をそろえる。
当時、定期検査の工程短縮を求められた重圧の中、配管に設置の弁の品質管理者だった田岡さんが作業状況を克明に記した日誌は、現場担当者としての安全への責任感を物語る。
日誌には、誰がどんな作業をしたかが詳細に記載されていた。公式の書類には決して残らない現場の記録だ。数年に1度しか検査しない個所もあるが、トラブルが起こった際には、田岡さんは前回検査時の日誌を持ち出し、問題がなかったか確認していたという。
「ただでさえ弁の検査は細かい作業が多く、仕事量も膨大。短縮定検が叫ばれる中、よくもここまで」。同僚らは感嘆する。
田岡さんは、作業に立ち会う必要はなかったが、「自分の目で見て、確認したいんや」と、あの日も現場に赴いた。
3号機は運転開始から約30年が経過。田岡さんは、古くて製造中止部品をどの代替品で補うか、メーカーの三菱重工業から資料を取り寄せて調べ、提案していたという。
「お父さんは一に仕事、二にも仕事の人だった。関電には、その気持ちを忘れずに安全に取り組んでほしい」と妻の尚美さん(49)。別の遺族は「無責任で風通しの悪い関電の体質の結果、責任感ある人たちが犠牲になった」と話す。
ある同僚は「事故が起きなくても変われる機会はあったはず。代償はあまりに大きすぎた。関電が本当に責任感を持つようになったのか、問われるのはこれから」と複雑な思いを抱いている。
■卯安全文化風化させるな■
<解説>美浜原発3号機事故は、経営陣が人と設備、資金を適切に配分する「品質保証」の不断の努力がなければ、原発の安全はもろくも崩壊してしまう現実を浮き彫りにした。
国の事故調査委員会も、定期検査期間を短くしたいばかりに、関電が配管の点検・交換を先送りしたことなどを「安全文化の劣化」と厳しく指摘した。
▽経営陣と現場職員とのひざ詰め対話▽2次系配管の保守管理に5年間で200億円を投資し、専任者も大幅に増員▽協力会社、メーカーとの意思疎通の改善——。関電は「安全最優先」をうたい、29項目の再発防止策を実施中だ。森本浩志・原子力事業本部長は「安全とコストをてんびんに掛けることはしない」と断言する。
だが、一方で「事故後、関電社内は『コストの話はタブー』という雰囲気。それはある意味で思考停止だ」。国や県、社内からもそんな憂慮が聞かれる。
安全投資の必要性、その優先順位について悩み抜き、判断を重ねることが品質保証活動をたくましくする。そうした積み重ねがなければ、いつか社内が事故の痛みを直接知らない世代に入れ替わった時、コスト優先に一変してしまう恐れすらあるというのだ。
電力自由化の流れの中、確かに「コストはタブー」は現実的ではなかろう。求められているのは、いかに誠実に、合理的に品質保証に取り組むかだ。運転再開を、安全文化の風化の始まりにしてはならない。
(冨山優介)