「健康、家族、仕事。すべてを失った。台無しにされた人生を返してほしい」。事故から丸三年を迎えた昨年八月、日本政府に窮状を訴えるため来日した被害女性の牛海英(ニウ・ハイイン)さん(28)は面会した国会議員を前に泣き崩れた。
牛さんは当時、廃品回収所を切り盛りする経営者だった。工事現場から発掘されたドラム缶に毒ガスが入っているとは夢にも思わず解体し、二カ月間の入院生活を強いられた。十代のころは重量挙げの選手として活躍するほどの健康自慢。だが事故後は一転し、後遺症による免疫力の低下で、慢性的な疲労や体力、記憶力の低下、いつもかぜをひいているような気だるさに悩まされるようになった。
「身体の不調が原因で夫とも口論が絶えなくなり、離婚。十歳の長男とも離れ離れになってしまった…」。今は仕事もできず、母親とひっそり暮らしているという。
被害者の六割以上を占めているのは、十代から三十代の人たちだ。一家の大黒柱として働いていた作業員らも、後遺症が原因でほとんどが職に就けないままだ。
整地のため工事現場から中学校の校庭や個人宅に運ばれた汚染土に触れ、健康被害を受けた子供もいる。「毒ガスを吸わなければこんな病気にならなかったのに」。当時十歳で、二〇〇五年に健康診断のため来日した女性、馮佳縁(フォン・ジャユアン)さん(13)は医師から慢性気管支炎という診断結果を伝えられ、おえつを漏らした。
校庭の汚染土で砂遊びをしているうちに毒ガスを吸った。その夜のうちに病院に運び込まれたが、手足の皮膚がただれ、二カ月間にわたって入院。
「学校に戻っても(感染症と誤解され)友達はみんな離れていった。目にもやがかかって、勉強にも集中できない」とつぶやいた。
弁護団の南典男弁護士は「毒ガスが人体にどんな影響をもたらすのかについては、未解明な部分も多い。被害者が抱える後遺症は年々悪化している。勝訴して、研究・治療体制の整備を中心とする救済策を政府に促したい」と語った。
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市民団体「毒ガス被害者をサポートする会」(東京都新宿区)は訴訟支援の寄付を募っている。郵便振替の口座名は団体名と同じで、口座番号は00160−8−583130。問い合わせは同会事務局=03(3268)1993。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070104/mng_____sya_____007.shtml