田辺市を舞台にしたもうひとつの映画が、06年秋に公開された。「幸福のスイッチ」(安田真奈監督)。
小さな電器店の一家をめぐる物語だ。主演の上野樹里、本上まなみ、沢田研二らの気取らない田辺弁のやり取りが人気を博した。
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「この犬、やにこうでかい(とても大きい)なあ」
紀南地方の方言「田辺弁」の独特の言い回しの一つだ。
いま、田辺弁をインターネットで検索すると、500〜1千件のヒットがある。ネット上に初めて田辺弁を発信したとされるのが、95年に立ち上げられたウェブサイト「田辺弁講座」。制作したのは福田和真さん(35)だ。総アクセス数が万件を超す人気サイトになっている。
けとびくらう(驚く)
きばる(許す)
かたやる(おしゃれする)
いしかな(クワガタムシ)
かたきり(ノースリーブ)
ふしこ(カツオ節)
「田辺弁講座」には、品詞別や50音順に分類して、田辺弁の単語約500語が収録されている。
福田さんは田辺市江川の出身。現在は、神奈川県藤沢市に住んでいて、大手電機メーカー主任研究員をしている。
95年当時、インターネット自体がまだ珍しく、全国のホームページを検索しても、和歌山県の情報自体が数えるほどしかなかったという。
東京にいた福田さんは「故郷のためになんかできんかな」と考え、田辺弁を記録し、全国発信することを思いついた。
「今後は、音声ファイルを載せるなどして、サイトをさらに充実させたい」。福田さんは意気込んでいる。
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東京発の「田辺弁講座」は、地元・紀南でも好評だ。
紀南を地盤とするプロバイダー「テレコムわかやま」(田辺市)のシステム管理者、那須宣亮さん(35)は評価する。「地元の人間は、田辺弁を研究対象と見ていない。外にいるからこそ、田辺弁の特異性がアピールできた」
「田辺弁講座」のサイトは当初、福田さんが所属した東京農工大の研究室(東京都小金井市)のサーバーに置かれていた。99年、地元・田辺商工会議所のサーバーに移った。
就職で大学を去る福田さんに、同商議所の田ノ岡比呂志さん(49)が申し出たのがきっかけだった。
「地域を発信するサイトとして、公共資産的な価値がある」。田ノ岡さんはそう考えた。
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故郷の田辺市に年数回しか帰れない福田さんと田ノ岡さんを結びつけ、東京発の田辺弁サイトの「帰郷」に一役買ったのもインターネットだった。
紀南での地域メーリングリスト(ML)の「nl—tanabe(ニューズレター・田辺)」。メーリングリストは、登録した人に同じメールが一斉に届き、ウェブ上で意見交換ができる。
同MLはもともと、地元の行政や経済団体の関係者たちが参加する数少ないネット上の交流場所だった。福田さんは約年前、田辺市の知人に誘われて同MLに参加するようになった。
地域振興やIT技術について積極的に発言する福田さんに、田ノ岡さんは強い印象を受けた。「東京にいた福田さんの登場で、ネットでしかできない時間や空間を超えたコミュニケーションを、初めて体験できた」
このMLができたのは、「田辺弁講座」が始まった同じ95年。「古き良き紀南」の人々をインターネットがつなぎ、交流が広がっていく。 (松尾一郎)
http://mytown.asahi.com/wakayama/news.php?k_id=31000000701040004