男が変わりつつある。身だしなみの細部に気をつかい、屈託なく育児や家事にいそしみ、時にはこまやかな感情表現をためらわない——。2007年は団塊世代が定年・引退を迎え、男を取り巻く環境が大きく変化する年でもある。旧来の「らしさ」を超えて、自分を見つめ直そうとする男たち。その移ろう「こころ」を読み解きながら、新しい時代の行方を考えたい。
「このキノコ、何?」。東京・渋谷のイタリア料理店で開かれた食事会で、こんな声があがった。十数人のメンバーのほとんどは女性だ。
3人いた男性客の一人、通訳・翻訳業の徳久圭さん(42)が素早く答えた。
「ヤマブシタケ。最近、あちこちで売ってるよ」
徳久さんが仕事以外で食事をする時はたいてい、同世代の女性中心のグループに参加する。〈黒一点〉になることもある。男性との会食は、仕事上、やむを得ない時だけだ。
「きれいな夜景に感激し、料理やワインについて語り合う。女性はそれで盛り上がる。だけど男は、『あの照明は発光ダイオードだ』などと理屈を言い、料理についても、『うまい』の一言で終わり。おもしろくないですね」
女性だから話題がおしゃれに転じることも当然ある。でも、聞いていて苦痛でない。
女ばかりの集まりに参加するのを、「怖い」とか、「ありえない」などという男性仲間は多い。独身だから、誤解されることもある。
学生時代は男友だちと居酒屋に行った。でも、楽しいとは思わなかった。マージャンもしないし、バイクにも乗らない。そういう男友だちの好きなものの多くに、関心が持てなかった。
30歳を過ぎたころから、同世代の女性と過ごしていると、素直に楽だと感じるようになった。
「たばこが苦手。プロ野球にも興味がない。男とは話が合わない。女性だと気をつかわなくて済み、楽しめます」
男だという意識は無論、ある。料理は好きだが、アクセサリーや化粧品、女装などには興味がない。女っぽさとは無縁のつもりだ。けれど周囲からは時々、こう言われる。「どこかおばさんっぽい」
「おばおじさん」。マーケティングの戦略プロデューサー塚田祐子さん(東京)は、中年女性のような感性を持つ「おばさん度の高い」男性をこう呼ぶ。
2004年12月、自分のブログでその定義を紹介した。井戸端会議に加わることができ、百貨店やスーパーでの買い物が好き、良いものを口コミで広める——などの特徴を持つのだという。
家事をそつなくこなし、不自然な感じを与えずに女性と交流する。器用で、まめで、世話好き——。ベテラン主婦のような長所を持ち合わせる男性を、「感性のバランスが取れた進化形の男。男中心社会の枠組みを打破してほしい」とエールを送る。
朝6時過ぎ、東京の会社員明さん(44)(仮名)は、朝食を作り始める。離婚して数年、都心で一人暮らしする明さんも、「おばおじさん」の一人だ。
サラダに添えるキュウリを手に、「きょうは飾り切りをしようかな」と思いついた。「見た目だけでなく、ドレッシングのからみや食感が変わるから」
一人暮らしだと野菜が余るので、無駄にしないため、ぬか床を持ち、漬物にする。時々、友人や近所の人に料理を振る舞い、喜んでもらうとうれしい。家族や自分の好みに合わせて作る主婦の感覚で料理している。「主婦っていいなと思います」
「こまやかな気配りや節約、おせっかいといったおばさん的な能力は、実はこれまでも男たちは持っていた」と言うのは東北大の沼崎一郎教授(文化人類学)。「ただ、それは上司や客に向かってだけ発揮されていた。それを地域や家庭など横の関係にも向け、心地良いと気付く男性が一部に出てきた」
背景には、バブル崩壊とその後の「失われた10年」で、「一流大学を出て一流企業へ入る」という男性モデルが通用しなくなったことへの不安があると指摘する。猛烈に働き、女性や子どもに気配りすることなど思いもよらなかった団塊以上の世代は、持ち合わせていない志向だという。
「生きるのに必死だった時代には、居心地などと言ってられなかったが、日本が豊かになり、温かさや優しさ、居心地の良さなどが、男性も『求めてよい』ものになってきた。ある意味で、豊かさの象徴と言えるでしょう」
男が求める〈安心〉のかたちが大きく変わろうとしている。「おばおじさん」は、それにいち早く適合した最先端の存在なのかもしれない。
女心わかる
博報堂生活総合研究所の「生活定点調査」(2006年)によると、「今後も高級レストランでひとり1万円以上の食事をしたい」という男性は10年間で約10ポイント増え、29%で女性と並んだ。「リサイクル店などで中古品を買った」など、かつては女性に目立った志向も、男が女に近づく形で差が縮小。たまにはぜいたくしたい気分、もったいないと思う感覚など、微妙な女心がわかる男性が増えた。
http://www.yomiuri.co.jp/feature/otokogokoro/fe_ot_07010301.htm