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2007年01月03日(水) 16時37分

伊藤穣一さん インタビュー朝日新聞

 ベンチャー投資会社最高経営責任者(CEO)、デジタル著作権を巡る国際的な非営利団体理事長……。IT先導役として世界を駆け回る伊藤穣一氏(40)は、03年11月から印旛村の日本家屋で生活を始めた。インターネットで世界とつながる一方、昔ながらの地域コミュニティーで家族と共に暮らす伊藤氏。印旛村から見た「新しい時代の千葉」について語ってもらった。(南彰、北村有樹子)

 ——なぜ千葉を住まいに選んだのですか。
 4年ほど前、勉強会で知り合った堂本暁子知事に連れられて、県内を泊まりがけで回ったのがきっかけ。自然が豊かで食べ物がおいしく、人々もみんな幸せそうだった。この家は、1年ぐらいかけて探した。成田空港にも近いし、東京へも電車で1時間前後で行ける。

 ——暮らしてみての印象はどうですか。
 以前は東京の駒沢公園の近くに住んでいたが、ここは上下水道も都市ガスも整備されていない。でも、井戸からくみ上げる水のにおいがいい。それは贅沢だと思う。

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 ——ベンチャー投資会社「ネオテニー」(本社・東京)CEO、さらに月には、デジタル著作権の新たな運用ルールを提唱する非営利団体「クリエイティブ・コモンズ」(本部・米カリフォルニア州)理事長に就任するなど、海外の仕事も多いですが。
 忙しいときは、5日海外に行って、3日戻ってくるという感じ。

 ——見ず知らずのコミュニティーで、戸惑いはありませんでしたか。
 村の付き合いも、やってみるとそんなに大変じゃない。ここはお互いが屋号で呼び合うような集落。おばあちゃんが野菜をもってきてくれたり、お茶を飲みにきたり。お正月は集落の新年会で一緒にお酒を飲むし。
 集落でADSLを引いたのはうちが最初。パソコンにカバーをかけているような人も多くて、頼まれて電子メールの使い方を教えたりもしている。

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 ——まちが元気になっていくには、どんなことが必要だと思いますか。
 今は、アマチュアの時代。情報発信のコストが下がって、これまでプロしかできなかったことが、アマチュアでも可能になってきた。商社じゃなくても、ネットショップでホームページをつくって、地方で商売することもできる。何かをするのに、東京じゃなければ、という技術的理由は減ってきている。
 そんな時代に、千葉は、もう少し活性化してもいいと思う。

——具体的には、どんなことが考えられますか。
 引っ越してくる時に、インターネットを検索していたら、たまたまここのことを書き込んでいる人がいて、村の雰囲気が見えた気がした。地域の人たちが自分の声で情報を出していくといい。そういう暮らしがあるということを、ネットで発見してもらって、住んでもらうこともできる。

 ——コミュニティーのあり方も変わりそうですね。
 人が来て欲しい地域と、行きたい人を、うまくマッチングできれば。よそから来た小さなベンチャーと商店街のおじさんが、一緒にまちづくりをするとか。

 ——団塊の世代が引退し、地域に戻ってきます。
 ブログのような、会社でのつきあい以外の人と出会える手段が、もっと増えてくるだろう。その中で、「焼き芋をしたい」「炭を作るのが好きだ」といった自分が望む生活様式によって、出会いが生まれ、何かを始めることができればいい。

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 ——この連載のキーワードは、まちの「新しい物語」です。印旛村に暮らしてみて、どんな「物語」を感じていますか。
 僕は、インターネットとか、投資とか、いかにものごとを便利にするかをテーマに様々なことをやってきた。でもここは、ある意味で時間が止まっている。ただ、ここの生活には、効率よくすると「意味」がなくなってしまうことがある。少しぐらい面倒臭い生活の方が、満喫感もあるし、思い出となって残る。
 こんな暮らしが、かえってネット上の接点にもなる。自分で育てた野菜でぬか漬けをつくっていて、「ヌカミソ・ガイド」という英語のページをネットで公開しているんだけれど、米・ユタ州の人から「樽って何なの?」といったメールが来たりする。田舎では当たり前の知識でも、ネット上で、しかも英語の情報は少ないからね。

〈伊藤穣一さん略歴〉
 66年、京都市生まれ。米シカゴ大などで学ぶ。ネオテニーCEO、クリエイティブ・コモンズ理事長の他に、ITベンチャー「デジタルガレージ」取締役、ブログソフト大手「シックス・アパート」(日本法人)会長など。人気ブロガーとしても知られる。

http://mytown.asahi.com/chiba/news.php?k_id=12000000701030002