2006年12月17日(日) 11時01分
歴史の現場から:横浜支局開設100周年/9 坂本弁護士殺害 /神奈川(毎日新聞)
◇見抜けなかった真相
事件のことを言葉にすると、今も鉛のようなものがつかえてしまう。
「弁護士一家が失跡した」。1989年11月。入社1年目の私はデスクの指示で、磯子区の坂本堤さん(当時33歳)宅へ向かった。静かな現場。警察によると室内に争った跡はなく、血痕はあるが、坂本さんは鼻血が出やすかったという。
坂本さんはオウム真理教(アーレフに改称)に入信した若者の親たちとともに、教団と闘っていた。室内に落ちていた教団のバッジ。だがオウム側は関与を否定。捜査も決め手をつかめない。警察幹部への夜回りメモだけが増え、それで仕事をした気になっていた。
5年半後。東京社会部に異動した私は地下鉄サリン事件の現場にいた。その後、逮捕された教団の元幹部が語った真相に打ちのめされた。一家はあの室内で、あまりに暴力的に、単純に殺害されていた。なのに誰も見抜けず、教団は増長した。
その秋、坂本さんに続き妻都子さん(同29歳)、長男龍彦ちゃん(同1歳2カ月)が変わり果てた姿で見つかった。
坂本さんの事件から17年が過ぎ、「教祖」の死刑が確定した。一連のオウム事件で27人の命が奪われた。なぜ踏み込めなかったのか。何のために取材するのか。無力だった者の一人として、せめて問い続けていくしかない。【社会部(当時は横浜支局)・磯崎由美】
12月17日朝刊
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061217-00000010-mailo-l14