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2006年09月16日(土) 00時00分

麻原被告の死刑確定 オウム13事件首謀 東京新聞

 地下鉄、松本両サリン事件の殺人罪などで死刑判決を受けて控訴したものの、弁護団が控訴趣意書の提出期限を守らなかったとして、控訴棄却となったオウム真理教元代表麻原彰晃被告(51)=本名・松本智津夫=について、弁護団が不服を申し立てた特別抗告審で、最高裁第三小法廷(堀籠幸男裁判長)は十五日、弁護団の訴えを棄却し、麻原被告の死刑が確定した。一九九六年四月の初公判から十年余り。二十七人の命を奪った一連の事件の首謀者の裁判は、控訴審が一度も開かれないまま終結するという、異例の結末を迎えた。

 四裁判官が一致した結論だった。抗告棄却の理由の中で第三小法廷はまず、麻原被告の訴訟能力について判断。東京高裁が選任した精神科医の鑑定結果や、麻原被告の一審公判での発言、拘置所での言動などを考慮し、訴訟能力を認めた同高裁の判断を支持した。

 次に東京高裁への控訴趣意書の提出が遅れた点について、「弁護団は趣意書を作成したと明言しながら提出しなかった」と指摘。「麻原被告と意思疎通ができない」として提出を拒んだ弁護団の主張を、「提出遅延を正当化する理由にはならない」と退けた。

 また、麻原被告についても「弁護人と意思疎通を図ろうとしなかったことがこのような事態を招いた。責任は麻原被告にもある」と述べた。

 弁護団は「調査を尽くさず被告の訴訟能力を認めた東京高裁の訴訟指揮は違法。憲法で保障された裁判を受ける権利の侵害だ」と主張していた。

 麻原被告をめぐっては東京地裁が二〇〇四年二月、地下鉄サリン事件や坂本堤弁護士一家殺害など十三事件すべてで有罪と認定し、死刑を言い渡した。弁護団は控訴手続きをして即日辞任した。

 東京高裁は、〇五年一月を控訴趣意書の提出期限に指定。新たに選任された弁護団は「拘禁反応が出ており、訴訟能力はない」として公判停止を求め、控訴趣意書を提出しなかった。高裁は提出期限を八月三十一日に延長したが、弁護側が応じず、高裁はこの後、麻原被告の精神鑑定を実施。今年二月二十日に麻原被告の訴訟能力を認める鑑定結果が出たのを受け、三月二十七日、控訴を棄却した。

 弁護団は棄却決定の数日前、同月二十八日に控訴趣意書を提出するとの意向を高裁に伝えていたが、受け入れられなかった。異議申し立てに対しても、高裁が「提出の遅れがやむを得ない事情とはいえない。麻原被告に訴訟能力を認めた判断は正当」と退けたため、弁護団は最高裁に特別抗告していた。

■教訓くみ取る努力これから

 東京拘置所の接見室。アクリル板越しに青白い顔が見える。解脱や悟りを求めて出家した青年がなぜ、人の命を奪ったのか。それが知りたくて、わたしは地下鉄サリン事件の実行犯広瀬健一被告(42)ら同世代の被告六人と接見を重ねた。彼らと交わした書簡は二百通を超える。

 「貧・病・争」の克服を目指した新宗教とは対照的に、オウムにひかれた若者たちは「生のむなしさ」への解答を求めていた。経済を優先する享楽的社会の変革を願った若者たちを、麻原彰晃被告は強い父性で吸い寄せた。

 彼らの話を聞く限り、教祖にはヨガや瞑想(めいそう)法を指導する技術はあったと思う。もともとオカルトや超能力に関心を抱く若者に、神秘体験を与え、「本物だ」と錯覚させることは容易だったに違いない。

 極貧の少年時代、視力障害、逮捕歴…。挫折から生じた麻原被告の破壊願望は、自らが「救世主」であるという妄想とともに膨れ上がった。だが、彼の特異なパーソナリティーだけが事件の要因とは思えない。

 人生の解答を直ちに与える絶対者を必要とした若者たちの思いと、教祖の支配欲や破壊願望が共振しながら、教団は破滅した。被告たちの肉声を聞いて、わたしはそう感じる。

 汚い世の中に生きる人たちを救いたいという究極の善意は、「命を奪うことで悪業が消滅される」との教義にたやすく反転した。新実智光被告が口にした「慈悲殺人」という言葉が教団の身勝手さを象徴している。善意の殺人には限度がない。初公判から刑の確定まで十年余りという年月は長い。しかし、訴訟上の手続き論で裁判を打ち切った東京高裁の姿勢には、世論の中に強かった「麻原を早く死刑に」という声に乗ったという印象は否めない。

 控訴審が開かれないまま刑が確定したことで、将来、麻原被告が「殉教者」になると断言した被告もいる。弁護団の戦術の稚拙さは批判されなければならないが、東京高裁の決断とそれを支持した最高裁の判断が後世の批判に耐えられるのか、疑問が残る。

 二〇〇一年九月十一日の米中枢同時テロで、米議会の調査委員会は三年後に詳細な報告書を提出。「政府がテロの脅威を見逃してきた」と厳しく追及した。一方、松本サリン事件後に、地下鉄サリン事件を防げなかった責任について、国会でしっかりした議論はなされなかった。刑事裁判による真相解明には限界がある。麻原被告が絶対者になったメカニズムも、検察は十分に立証していない。教祖は裁きの場から退場するが、政府や国会は事件から教訓をくみ取る努力をするべきだ。いまからでも遅くはない。

社会部・瀬口晴義


http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060916/mng_____sya_____009.shtml