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「麻原被告の口から何も語られていない。何のための十一年だったの」
地下鉄サリン事件で、千代田線霞ケ関駅の助役だった夫の菱沼恒夫さん=当時(51)=を亡くした美智子さん(62)=さいたま市見沼区東大宮=の胸にはむなしさだけが残った。
「主人は何にも分からないまま命をなくした。なぜ被害に遭わなくてはならなかったのか」。美智子さんは疑問を解こうと、麻原被告の公判はすべて傍聴するつもりだった。しかし公判では意味不明の言動が繰り返された。「この男の裁判に行っても意味がない」。第三回公判以降は足が法廷に向かなかった。
麻原被告の死刑は確定したが、今後も何も分からないとの思いを抱え続けなければならない。美智子さんは「死刑確定は事件の一つの区切りかもしれない。でも私の中ではまだ何も終わっていない」と話す。
光野充さん(65)=草加市松原=は今でも突然、体を押さえつけられるような苦しさに襲われたり、めまいを覚えることがある。
出勤途中に日比谷線小伝馬町駅で地下鉄サリン事件に巻き込まれた。自力で地上に脱出したが、直後に意識を失い十三日間入院した。
光野さんは事件について、機会があれば話すようにしてきた。社会から事件の記憶が薄れる中で、今も後遺症に苦しむ被害者がいることを、多くの人に知ってもらいたいからだ。「周囲からは十年たてば治るだろうと思われる。公的な補償もなく、苦しんでいても、恐怖や不安で声をあげられない人は多い」
裁判は終わった。「歯がゆさはある。ただ、それよりも長すぎた。死刑は当然。速やかに執行してほしい」。光野さんは、後遺症の不安と一生付き合わざるをえない。
■『何か動きあるかも…』八潮の教団施設
県警によると、県内の教団施設は八潮市などに六カ所あるという。同市大瀬の道場とされる施設は、死刑が確定した十五日夕方も平静を保っていた。施設の前には十台ほどの自転車が並び、人の出入りは見られない。一階の窓からはわずかに室内の明かりが見えるが大半の窓には内側から覆いがされており、中をうかがうことはできない。
同市によると、教団進出が分かったのは一九九八年。三階建ての倉庫がパソコン工場として使われていた。当時、県道を挟んだ向かい側にはプレハブ小屋が設置され、住民らが二十四時間態勢で監視していた。
しかし、現在は年数回抗議行動を行うほか、週末の夜に二時間ほど、市職員と数人の住民が監視小屋に集まる程度だという。
地元町会で活動してきた武内勇さん(63)は「十年近くもたつと継続するのは大変。『もういいだろう』という声もある」と説明する。一方で「死刑が決まれば何か動きがあるかもしれないので、用心はしている」と話した。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/stm/20060916/lcl_____stm_____000.shtml