悪のニュース記事

悪のニュース記事では、消費者問題、宗教問題、ネット事件に関する記事を収集しています。関連するニュースを見つけた方は、登録してください。

また、記事に対するコメントや追加情報を投稿することが出来ます。

記事登録
2006年09月16日(土) 00時00分

遺志—坂本事件が残したもの<上> 事件総括できぬ日本社会 故坂本弁護士一家。左から坂本堤弁護士、長男龍彦ちゃん、妻都子さん 東京新聞

 「彼が、私にものを聞いたことは、生涯に一度しかないと思う」

 横浜法律事務所の三木恵美子弁護士(49)は、坂本堤弁護士も使っていた事務所の一室で、寂しそうな口調で話した。

 三木さんは一九八九年四月、弁護士になった。同じ事務所に坂本さんがいた。東大の同級生だったが、弁護士としては二期先輩。「社会的に弱い立場の人を助けたい」と弁護士を志し、既に旧国鉄の国労不当労働行為事件や、横須賀の石綿じん肺訴訟にかかわっていた。弁護士としての力の差は、歴然としていた。

 「こっちはボーっとしていて、議論にならなかったんですよね」

 そんな時、坂本さんから尋ねられた。

 「チベット仏教の本を持っていたら貸してくれ。ダライ・ラマが書いたものを持ってるか」

 坂本さんは八九年五月、オウム真理教(アーレフに改称)に入信した娘が家に帰らない、と母親から相談を受けていた。オウム真理教とは何かを知るため、山好きでチベット仏教について勉強したことのあった三木さんに声を掛けたのだった。

 しかし、本を貸したところで、そのやり取りは終わる。坂本さんは、その後しばらくして事件に巻き込まれてしまったからだ。「何か質問してほしかった。弁護士、法律家としては役に立たないけど、そこはちょっと任せてよ、というところはあったのに…」

 相手を理解しようと最大限の努力をするのが、坂本さんのやり方だった。石綿じん肺訴訟もそうだった。普通なら、原告の症状を聞けばいい。ところが坂本さんは、原因となる船の造り方から勉強を始めた。「ぎらぎらして、こだわりの多い人でした。やるからには一生懸命やろう、自分も成長しよう、としていた」と三木さんは、在りし日のことを思い起こす。

 八九年十一月四日。坂本さんが、事務所での大事な打ち合わせに姿を現さなかった。「普段、絶対に遅刻しないのに、変だ」。坂本さん宅の室内の状況などと合わせ、「事件」と確信した同僚弁護士らが早急な捜査を求めたが、“失踪(しっそう)”と決めつけた県警の動きは鈍かった。

 「県警には、当時、牧歌的な考え方があった。信者と依頼人の親を面会させようと交渉したことで、まさか弁護士が拉致され、家族皆殺しにされるなんてことはあり得ない、と。彼らは時代を読めていなかった」

 わずかな手掛かりでも得たいと、事務所の電話の前で待ち続ける日々。「年を越したら、拉致された三人が凍え死ぬぞ」。ハッパを掛けようとした仲間のそんな言葉も、長期化するとともに聞かれなくなった。ただ、信じるしかなかった。「“マインドコントロール”ですよね。自分たちでお互いに。生きている、と」。六年後の遺体発見。力が抜けた。

 麻原彰晃被告(51)=本名・松本智津夫=の裁判は、傍聴はしたが、期待はしていなかった。「何も話さないと思っていた」。予想は現実のものとなる。裁判を経ても、決して胸が晴れることはなかった。「事件を総括できていないんじゃないですか。日本社会全体としても、自分としても」

 再びオウムのような組織犯罪が起きることはない、と固く信じている。ただ、“オウム的”な人が増えている、ということも弁護士としての悲しい実感だ。「人を殺すと、どんなに多くの人が悲しんだりするのか、イメージできなくて人を殺しちゃう人が増えているのは、間違いないと思う。坂本さんを殺しちゃったような人たちが」

   ◇   ◇

   麻原被告の死刑が十五日、確定した。オウム真理教犯罪の“原点”とも言える「坂本弁護士一家殺害事件」の発生から約十七年。関係者を訪ね、いまだ癒えぬ悲しみ、事件と裁判への思いを語ってもらった。 

  (佐藤大)

<メモ>

 【坂本弁護士一家殺害事件】 横浜弁護士会所属の坂本堤弁護士=当時(33)=と妻都子さん=同(29)、長男龍彦ちゃん=同(1つ)=の一家3人が1989年11月4日、横浜市磯子区の自宅アパートで殺害された。事件直後の室内は、カーペットの一部がまくれ、血こんのほか、オウム真理教のバッジが落ちているのが見つかった。神奈川県警は一家3人失踪事件として捜査。

 95年3月の地下鉄サリン事件後のオウム真理教への一連の強制捜査の過程で、教団の関与が判明。同年9月、新潟、富山、長野3県の山中などから3人の遺体が発見される。岡崎(現姓・宮前)一明、麻原彰晃、早川紀代秀、中川智正、新実智光、端本悟の6被告が殺人罪で起訴された。

 2005年4月に死刑が確定した岡崎死刑囚の判決などによると、坂本弁護士が「オウム真理教被害対策弁護団」を組織していたことなどから、麻原被告が「教団にとって大きな障害になる」と殺害を指示。他の5人と故村井秀夫元幹部の計6人がアパートに侵入し、就寝中の3人の首を絞めるなどして殺害した。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/kgw/20060916/lcl_____kgw_____000.shtml