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粉飾決算とされたLD株売却益の売り上げ計上について、宮内被告は「二〇〇三年秋、報告を受けた堀江被告は『そんなにもうかっちゃうの。予算にのせないと』と言った。予算案に数字を計上しろということだと理解した」と証言。「それ(堀江被告の発言)は指示なのか、要望なのか」と検察側がただすと、「指示です。社長ですから」と答えた。
証言によると、LD株売却は〇三年秋、株式交換による買収を交渉していた携帯電話販売会社の旧株主から現金を要求されたことがきっかけになった。
宮内被告と親しかった投資顧問会社「エイチ・エスインベストメント」元社長野口英昭氏(死亡)が、投資事業組合(ファンド)を利用したLDの新株売却を提案したが、新株の発行が遅れたため、堀江被告の保有株を借りて売却することになったという。
その際、宮内被告が堀江被告に「ファンドを介在させるので、誰が貸株したか分からない」と伝えると、「大丈夫なの。ふーん、そうなの」と発言したという。
宮内被告は「(堀江被告が)理解し、納得したんだと思った」と証言。貸株の売却益約八億円をLD側に還流させた後、堀江被告に新株で返却したと説明した。
起訴状によると、堀江被告らは〇四年九月期連結決算で、LD株売却益三十七億余りを違法に売り上げ計上するなどの方法で、実際は赤字だったのに、約五十億の黒字に見せかけた虚偽の有価証券報告書を作成した。
■宮内被告が呼び捨てで
「堀江は納得したと思った」−。“直接対決”の第一ラウンドで、堀江被告の関与を証言した宮内被告に、堀江被告は不服そうな表情を見せた。二人が公的な場で顔を合わせたのは、今年一月の逮捕以来約八カ月ぶり。かつての盟友は、目を合わすことはなかった。
先に入廷した堀江被告は、グレーのスーツにネクタイ姿。一礼し、慣れた様子で被告人席に着いた。続いて宮内被告が入廷。かつての盟友を見ながら通り過ぎたが、堀江被告はずっと視線を落としたままだった。
証人尋問では、検察側が事件の舞台となった投資事業組合を絡ませた枠組みについて質問。青っぽいスーツを着込み、髪の毛を短く刈り込んだ宮内被告は「説明を受けた堀江が『ふーん、そうなの』と答えたので、これで納得したと思った」と呼び捨てで証言した。
宮内被告が「指示です。社長だからです」ときっぱり答えると、堀江被告は苦笑いを見せた。
堀江被告は水を何度も飲み、真剣な表情でメモを取っていた。時折、不服そうに顔をひねったり、宮内被告を見つめたりする場面もあった。
■事業拡大へ『車の両輪』
税理士だった宮内被告は一九九九年夏、堀江被告から税務相談を受けたのが縁で、取締役としてライブドア(LD)に入社した。LDは翌二〇〇〇年、東証マザーズに上場を果たし、堀江被告は「時価総額一兆円」への夢に向けて走り出すが、上場を強く進言したのが宮内被告だった。
〇四年のプロ野球参入劇以降、LDグループの「広告塔」として、メディアに頻繁に登場した堀江被告と、企業の合併・買収(M&A)戦略を陣頭指揮し、グループを引っ張った宮内被告。互いに全幅の信頼を置き、車の両輪となって事業の拡大を推し進めた。
東京地検特捜部の捜索直後、「おれは何も知らないよね」と繰り返す堀江被告を見て、宮内被告は「堀江をかばうのはやめよう」と、たもとを分かつ決意をしたという。法廷では事件の首謀者を互いになすりつけ合う“敵対関係”になった。
堀江被告側は初公判の冒頭陳述で、「ライブドアで宮内被告の存在は極めて大きく、最大限、尊重しなければならなかった」と宮内被告が事件を主導したと主張した。
宮内被告は自身の公判で、ライブドア株の売却益の売り上げ計上などによる粉飾について、堀江被告に逐一報告していたと供述。「もちろん堀江の了承は必要だった」と最終決定権は堀江被告が握っていたと述べた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060915/eve_____sya_____004.shtml