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宗教の社会的役割について語り合う本田哲郎さん(左)と釈徹宗さん=大阪市北区で |
それぞれの社会活動をもとに語り合うカトリック神父の本田哲郎さん(63)と浄土真宗僧侶の釈徹宗さん(45)。対話は、現在の教団組織のあり方から、イエスやブッダの真の教えは何だったのかという点にまで進んだ。(構成=池田洋一郎)
組織化・制度化では救えない
本田 私は両親がクリスチャンで、生後すぐ洗礼を受けました。教会の中で育ってきて思うのは、教会という組織の建前と本音があまりに違いすぎるのではということです。歴史をみても、中世には十字軍遠征で、信仰心からイスラム教徒を殺しに行った。大航海時代には、新大陸の先住民の文化を破壊した。イスラム教やユダヤ教にしても、勢力争いが表に出てきてしまう。宗教に平和をもたらす力があるのか。教団組織となり、制度化された宗教では、人は救われないのではと思います。
釈 宗教に支えられた自我ほど強いものはなく、ものすごい力を発揮します。方向を間違ったら大変。常に自己点検し、信仰や教義が自己目的化して暴走するのを防ぐ必要があります。
本田 イエスが本当に伝えたかったことと、現在のキリスト教会が教義や制度として作り上げているものとは、ずいぶん違うのではという気がします。
教会は神が人間の姿をとり、この世界に降りたってくださったと説く。が、聖書の原典を調べると、イエスは自分が神の子だという自覚を持っていなかった。当時罪人と差別される中で生まれ、最底辺の仕事とされていた石切り職人となった。「食い意地の張った酒飲み」などとののしられた。彼の弟子たちも徴税人など当時の社会で差別された人々でした。イエスその人が貧しい最下層の中で生き抜いた人でした。底辺の痛み、苦しみ、寂しさ、怒り、悔しさが身にしみてわかっていた。
聖書が教える隣人愛とは、そうした最も弱い立場に置かれ、一番しんどい思いをしている社会の最底辺の人々に徹底して寄り添うことのはずです。最も隣人を必要としている人の隣人になることではないでしょうか。
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釈 私も寺に生まれ、僧侶となりました。仏教の慈悲の実践にも、寄り添うという態度が強調されます。ブッダは、家族を亡くした人に「死は当然やって来る。悲しんで何か変わるのか」と言ったかと思えば、自分が信頼する弟子が死ぬとすごく嘆き悲しむ。子どもを亡くし悲しむ母親には「死んだ人がいないという家を見つけたら、子どもを生き返らせてやろう」と語り、そんな家を探しても見つけられない母親は、おのずと子どもの死を受け入れる。クールな面もあれば、その時々の状況や思想をうまく用いて人を救うプラグマティックな面もある。幅があるところが魅力です。
今、ブッダやイエスの本当の教えは何だったのか、原点に返ってとらえ直そうという動きが盛んです。背景には、近代の宗教の行き詰まりがあると思います。「霊性」などと訳される「スピリチュアリティー」という言葉が「宗教」に代わって盛んに使われるのも、現代の宗教に対する疑問の表れでしょう。
教義・信条に立ちすくまない
本田 制度や組織に固定化された宗教から抜け出さないといけない。反テロ戦争を唱えるブッシュ米大統領の背景には、十字軍のような聖戦論さえ主張する原理的な福音主義がある。聖書には明らかに神話的要素も多く、聖書すべてを歴史的事実とする福音主義のとらえ方自体が根本的に間違っている。そこから抜け出すには徹底して自分の宗教を相対化できる自由を持たねばなりません。
釈 米国の福音主義は政治や教育に積極的にかかわろうとするところに特徴がありますね。そもそも大乗仏教は、社会に働きかけ、人々を実際に救うことが大切だとして生まれてきた。ただ社会とかかわる際、自分の宗教を徹底して相対化する自由が重要ということですね。
本田 釜ケ崎では、キリスト教や仏教の人々、それに左翼の人たちが、互いにうまく共同して活動しています。それは目の前に、野宿や結核などの病気で大変な思いをしている労働者が大勢いるという現実がまずあるからです。いま一番しんどい状況にある人をどうすることが大事なのかという点では、みんな完全に一つになれる。教義やイデオロギーなど関係ない。人を人として大切にしようという心で、目の前の大変な現実にかかわるとき、互いのつながりが築かれ、宗教や思想の違いなんてどうでもよくなるんです。
釈 教義や信条は大事ですが、それに縛られ、立ちすくんでは何にもならない。人と人、人と場所とのつながり、関係性を大切にして、目の前の現実にかかわっていく姿勢が肝要です。困難な道ですが、宗教者にとって非常に重要なことです。
神父 本田哲郎さん ほんだ・てつろう 近著に「釜ケ崎と福音」(岩波書店)。独自の視点からの聖書の個人訳に「小さくされた人々のための福音」「コリントの人々への手紙」(共に新世社)などがある。
僧侶 釈徹宗さん しゃく・てっしゅう 著書に「親鸞の思想構造」(法蔵館)。内田樹・神戸女学院大教授との共著「いきなりはじめる浄土真宗」「はじめたばかりの浄土真宗」(共に本願寺出版社)が話題に。
http://www.asahi.com/kansai/kokoro/taidan/OSK200609120004.html