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移住からちょうど五十年の判決だった。そして、移民には「納得がいかない」内容だった。
原告の日本人移民とその遺族百七十人の思いが届かず、国に損害賠償を求めた訴えが退けられてしまったのである。
「広大で肥沃(ひよく)な農地を無償譲渡する」という国の説明を信じて移住したのに、まるででたらめだった。渡った先は、塩が浮き、無数の石がころがる荒野だった。大農場の主となる夢は早々と砕かれ、過酷な環境下で生活せざるを得なかった。
戦後最悪の移民計画だったといわれている。国を訴えた心情の核心には、自分たちが祖国にだまされ、祖国に見捨てられた「棄民」だったという思いがあるのだろう。
東京地裁が請求を棄却した理由は、「除斥期間」と呼ばれる、民法上の“時間の壁”に阻まれたためである。二十年という権利の法定存続期間を経過したために、原告の賠償請求権が消滅したというわけだ。入植地に入った時点から、その期間を起算した結果だった。
ただし、判決は「ドミニカ移住により物心両面にわたって、幾多の辛苦を重ねてきたことが十分に認められる」と、移住者側の言い分を認めた。そのうえ、「外務省と農林省は調査や説明を尽くす義務を怠った」と、国の不法行為と責任をも認める内容だった。その意味は大きい。
当時の施策が違法と判断されたわけで、重く受け止めるべきである。
そもそもドミニカ移民は、敗戦後に膨れ上がった人口問題を解決するための“国策移民”だった。
二〇〇四年に小泉首相は「多々反省すべきことがあった。不手際を認め、しかるべき対応を考えたい」と国会答弁している。判決について、麻生外相も「厳しい指摘に十分留意する」と語っている。
だが、政府が決めた移住者への支援策は、公民館建設のため政府開発援助で一千万円を拠出することや、国際協力機構が所有する学生寮の日系人団体への譲渡仲介などにとどまっている。
まず謝罪すべきだろう。そして、苦難の歴史を思えば、もっと積極的で有効な支援策を練るべきではないか。少なくとも移住者側の要望をじっくり聞くべきである。
今回の判決は、むしろ救済の知恵を絞るよう、政府側にボールを投げ返したものといえる。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20060608/col_____sha_____002.shtml