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息子のロバート・ビンガムさん(65)によると、ビンガム氏は1936年、フランス・マルセイユに副領事として赴任した。ナチスの進駐に伴い、親独のビシー政権がフランスにできたが、米国はまだ中立国だったので外交官活動を続けた。
米政府は当時、ユダヤ人の入国についてはできるだけ制限するよう在外公館に通達していた。だが、ビンガム氏は、画家のマルク・シャガールや政治哲学者のハンナ・アーレントといったユダヤ人知識人らの脱出をはかった委員会に手を貸しただけでなく、推定で1000〜2500人の無名のユダヤ人らにビザや出入国書類を発行した。
ロバートさんのもとに昨年8月、カリフォルニア州在住の80歳の女性から届いた電子メールには「私たち家族は何の国籍も書類も持っていなかったが、あなたのお父様が書類を出した。彼がいなければ、数日後には強制収容所に送られていただろう」とあった。
だが、こうした活動はナチス側の不興を買い、米政府に圧力がかけられ、ビンガム氏は41年に南米へ転属。戦後まもなく退職を余儀なくされた。
その後88年に死去するまで、ビンガム氏は自分の行動についてほとんど語ろうとしなかったという。死去後、96年に遺品の中から大量の日誌や記録が見つかった。
ロバートさんらが議員らに働きかけ、02年に当時のパウエル国務長官が、ビンガム氏の「建設的な不同意」を表彰。さらに今回、戦後初の駐日大使だったロバート・マーフィー氏ら5人の外交官と共にシリーズ切手に取り上げられた。
ユダヤ人にビザを発給して救った元外交官としては、日本の元駐リトアニア領事代理だった故杉原千畝(ちうね)さんが知られている。