悪のニュース記事

悪のニュース記事では、消費者問題、宗教問題、ネット事件に関する記事を収集しています。関連するニュースを見つけた方は、登録してください。

また、記事に対するコメントや追加情報を投稿することが出来ます。

記事登録
2006年05月25日(木) 12時02分

裁判員制度:市民と裁判官が審議/下 事実認定、戸惑いと悩み /青森毎日新聞

 ◇精神負担大、実現へ課題も−−「評議」非公開の密室で7時間
 証拠調べが行われた1日目から判決を下す2日目までは、模擬裁判も1日休みだ。だが、裁判のことが頭から離れない。この点は「プロ」である裁判官も同じだという。室橋雅仁裁判官は「休みに子供と遊びながら、ふと『あの量刑は重すぎたかな』なんて考えてしまう」と話してくれた。
 そして迎えた最終日の2日目。まず、検察側が論告で「殺意はあった。正当防衛は成り立たない」として懲役15年を求刑した。これに対し、弁護側は最終弁論で無罪を主張し「有罪でも懲役3年」と述べた。最後に被告人が最終陳述を行い、それぞれの「最後の訴え」が終わった。
     ◇
 裁判員と裁判官が判決内容を話し合う「評議」は密室内で行われた。本物の裁判であれば、当然、非公開だ。
 最初に行ったのは「事実認定」。検察官が冒頭陳述で述べた「事実」が「本当に事実なのか」を確認する。
 進行役の佐藤卓生裁判長が口火を切った。「被告人は『田川弘志』で間違いないですか」。間違いない、とばかりにうなずくと、「では5番の方、それはどの証拠で示されましたか」と「名指し」で質問されてしまった。あわてて1日目の証拠を総動員。ようやく確認できて、証拠の重要性を改めて思い知らされた。
 体の傷や凶器など「モノ」として証拠が残る点とは異なり、事件当事者の行動や言動などは、「モノ」としての証拠は残らない。目撃者や被告人の供述を基に認定するしかないのだが、関係者の供述は、それぞれ食い違っていた。誰の供述が信用できるのかをめぐり、次第に裁判員の意見も食い違っていった。
 「本当の事実」は、被告人と死んだ被害者しか知らない。それでも判決を出さなくてはならない。「疑わしきは被告人の有利に」との原則もあるが……。事実認定は戸惑いと悩みの中で進んでいった。
 佐藤裁判長は「世間一般の人にとって合理的かどうか」という判断基準を示してくれた。だが、「殺意の有無」をめぐっては統一見解がまとまらなかった。各裁判員が考える「殺意とは何か」が、そもそも違っていたからだ。結局、少数派に折れてもらう形で殺意を認めた。
     ◇
 事実認定の後は、量刑を話し合った。これが事実認定以上に難しい作業だった。
 「この程度の事件なら懲役何年」などのマニュアルがあれば簡単だが、そんなものは存在しない。「どうしたらいいんですか」と裁判官にアドバイスを求める声も出た。しかし、裁判員が判断しなければ、新制度をスタートさせる意味がない。裁判官からは「直感でいいですから」と促されてしまった。
 裁判員が口にした量刑は、懲役3年9月から11年と大きく分かれた。私の意見は最長の11年。他の裁判員らからは減刑を求められたが、何年減らせばいいのか分からず、混乱するばかりだった。
 結局、裁判員6人が「なんとなく」納得できる妥協点として、懲役7年6月で意見がまとまった。裁判官3人にも異論はなく、これで判決は決定した。
     ◇
 評議は約7時間。予定を約4時間も超える長いものだった。それでも、後半は駆け足になってしまった。「納得してるわけではない」。裁判員の1人が判決後につぶやいた。
 2日の審議日程が十分だったとは思えない。だが、日常生活から2日間も切り離される裁判員の精神的、物理的負担は、けっして軽くはなかった。
 今回は「模擬」だから、戸惑いも難しさも興味深く楽しんだ。しかし、実際に制度が始まり、人一人の運命を素人が感情をぶつけあって決めるのかと思うと、ぞっとする。まだ、裁判所も検察側、弁護側も手探り状態でよりよい審議を模索している。素人を司法に組み入れるこの制度、実現に向け課題は多いと実感した。【喜浦遊】
………………………………………………………………………………………………………
 ◆裁判員の一日(2日目)◆
10:00 開廷
      検察側の論告求刑
10:30 弁護側の最終弁論
11:10 被告人の最終陳述
11:15 結審
11:30 評議開始
 (12:10〜昼休み)
13:10 評議再開
19:30 評議終了
 (当初予定では15:00)
      引き続き判決起案
20:00 判決宣告
 (当初予定では16:30)

5月25日朝刊
(毎日新聞) - 5月25日12時2分更新

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060525-00000092-mailo-l02