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2006年03月28日(火) 00時00分

麻原被告控訴棄却 弁護士に聞く 東京新聞

 オウム真理教元代表麻原彰晃被告(51)=本名・松本智津夫=の裁判は、控訴審での審理が1度も開かれないまま、あっけない幕切れとなった。昨年8月の期限を過ぎても、控訴趣意書を出そうとしなかった弁護団。28日の提出を表明していたが、裁判官は受け入れなかった。対立の構図はなぜ生まれたのか。オウム真理教被害対策弁護団の滝本太郎弁護士と麻原弁護団に理解を示す岩井信弁護士に聞いた。 (社会部・飯田孝幸)

■滝本太郎氏

 弁護団が控訴趣意書を期限内に提出しなかったのは、あまりに危険な賭けだった。弁護団は麻原被告と意思疎通が図れないと話すが、一審で罪状認否をしたのだから、それに沿って控訴趣意書を作ることはできる。提出期限は守るのが当たり前で、控訴棄却になっても文句は言えない。

 弁護団は六人の精神科医に意見書を書いてもらったが、精神鑑定は多数決ではない。拘置所で遮へい板越しに三十分会っただけで意見を言うのは軽率だ。

 裁判所の依頼で鑑定した西山詮医師も、せっかく遮へい板なしで麻原被告に会えたのだから、三回ではなくもっと面会すべきだった。

 麻原被告は詐病だと思う。井上嘉浩被告が証人出廷した時からおかしなことを言い始めたが、自分に都合の悪い証言を妨害しただけ。麻原被告は弁護人が当てにならないので、自分で自分を守っているのだろう。

 東京高裁の裁判官が弁護人抜きで麻原被告に会ったことは異例だが、訴訟能力は裁判官の心証で決められるのだから、許される範囲だろう。

 一審では、検察も裁判所も重大なことを言っていない。なぜ麻原被告は、あれだけのことを実行犯らにさせることができたのか、という点だ。マインドコントロール、薬物まで使ったオウムのおぞましさを証明しないままでいいはずがない。その仕組みを明確にすることこそ、記録に残すべきことである。

 麻原裁判は、オウム真理教をつぶすためには理想的な展開だった。いかに「尊師には深いお考えがある」と思いたくても、(法廷での麻原被告の姿を見て)ついていけない人は辞めている。死刑が執行されても後を追う人はいないだろう。

■岩井 信氏

 被告人と意思疎通が図れず話も聞けないのに、弁護人が勝手に事件を組み立てて控訴趣意書で主張することは、弁護人の「誠実義務」に違反する。控訴趣意書を提出できなかったのは、やむを得ないのではないか。

 高裁の対応には二つの問題点があったと思う。一つは二〇〇四年十二月、裁判長が拘置所に赴き、弁護人の立ち会いもなく被告人に会ったこと。これは、いかなる場合にも弁護人による弁護を保障した憲法に違反する。

 面会時の様子を記録した高裁書記官の報告書には「手続き教示に『うん、うん、はい』と言い、相づちを打つような格好をした」とされているが、本当にそうだったのか。弁護人の立ち会いがない密室では、検証もできない。

 もう一つは高裁が〇五年八月に公表した文書。鑑定形式で医師の意見を聴くとしながら、同時に「被告人が訴訟能力を有するという判断は揺るがない」と表明したこと。鑑定する以上、結果を見たうえで考えを述べるべきではなかったか。「揺るがない」と表明した後で、鑑定を依頼された医師が違った結果を書けるか疑問が残る。

 鑑定形式と言いながら、鑑定医への弁護人の尋問を許さないのも疑問だ。鑑定結果が弁護側と裁判所側で分かれたが、だからこそ適正な手続きが大切。一九九七年の最高裁決定は「被告人の訴訟能力の有無については審理を尽くすべき」としている。弁護人が提出した鑑定意見書がいずれも訴訟能力に疑いを示しているのに、尋問を認めないというのは「審理を尽くした」とは到底言えないのではないか。

 高裁の対応は、結論を急ぐ社会の圧力に押されて、裁判の迅速や終結だけを求めているように見える。真実解明のためにまず訴訟能力について審理を尽くすべきだった。

<滝本太郎氏>

 オウム真理教被害対策弁護団のメンバー。教団相手の民事訴訟などで代理人を務め、1994年には、オウム信者によって車にサリンを注入され中毒症となった。横浜弁護士会所属。

<岩井 信氏>

 麻原弁護団が昨年11月と今年1月に東京都内で開催した、麻原控訴審をめぐる討論会で司会を務めた。死刑廃止運動などにも取り組む。第二東京弁護士会所属。


http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060328/mng_____kakushin000.shtml