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2004年2月27日東京地裁が言い渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申し立てがあったが、当審弁護人及び被告人は当裁判所が定めた期間内に控訴趣意書を差し出さず、かつ、被告人が訴訟能力を有することに疑いがないので、当裁判所は、次の通り決定する。
【主文】 本件控訴を棄却する。
【理由】 1 被告人との意思疎通が図れないから控訴趣意書が提出できないなどという主張について
当審弁護人は、延伸後の提出期限にも控訴趣意書を提出しなかった。当審弁護人がその期限を徒過したのは、記録が膨大で論点が多数のために真摯(しんし)な努力を最大限尽くしたが完成できなかったなどの理由によるのでなく、既に控訴趣意書が完成し、提出期限最終日の打ち合わせの席上でそのまま直ちに提出できる状態であるのに、あえて提出しないという途を自ら選んだことによるものである。
当審弁護人は、当裁判所が実施する鑑定の方法等についての希望が容(い)れられなければ控訴趣意書を提出できない、という考えに固執してそのような態度を取ったのであるが、そもそも、鑑定の方法等の問題と控訴趣意書の提出期限の順守の問題は全く次元が異なる別個の問題であることは多言を要さないところであるばかりか、鑑定は、当審における第1回公判前の段階において、当裁判所の職権調査事項である被告人の訴訟能力の有無を職権で判断する一方途として、当裁判所が刑訴法43条3項の規定に基づき実施することにしたものであって、鑑定の方法等をどのようにするかということは当裁判所の裁量に委ねられているものであるから、当審弁護人が鑑定の方法等について決めた裁判所の考えに納得できないとしても、それによって控訴趣意書の不提出が正当化されるということは考えがたい。
加えて、当審弁護人が前記のような考えに固執して控訴趣意書を提出期限内に提出しなかった行為は、原審で死刑を宣告された被告人から実質審理を受ける機会を奪うという重大な結果を招くおそれをもたらすものであって、被告人の裁判を受ける権利を擁護するという使命を有する弁護士がその職責を全うするという点からみても極めて問題があるというべきである。当裁判所が、控訴趣意書の提出期限徒過後、数度にわたって、当審弁護人に対し、控訴趣意書を直ちに提出することを強く求めたゆえんである。
当審弁護人から、現在まで控訴趣意書が提出されていないが、以上にみてきたところによれば、当審弁護人が控訴趣意書をこの時点で直ちに提出したとしても、その提出遅延は、刑訴規則238条所定の「やむを得ない事情に基づくもの」とは認められないことは明らかというべきである。そうすると、被告人の訴訟能力に疑いが生じない限り、本件控訴は決定による棄却を免れないことになる。
2 被告人には訴訟能力がないという主張について
〈1〉被告人は、1996年10月18日の原審第13回公判における井上嘉浩証人に対する反対尋問をきっかけとして、原審弁護人に対し、怒り、不信、失望といった感情を抱くとともに裁判の現状と行く末に大いなる危機感を募らせ、自己を守らず敵に塩を送る原審弁護人に頼ることはできないとの気持ちを強め、同月末ころから97年1月までの間は、接見を拒否しがちになったものの、井上証人の反対尋問が一段落すると、原審弁護人との信頼関係をもう一度構築しようとする気持ちが芽生えたのか、しばらくの間は原審弁護人との接見に応じ、会話も交わしたものの、同年3月中旬から下旬にかけての接見の際、保釈のことなどで原審弁護人に再び絶望し、今後弁護人の力は頼まず、自らを自らで守る意思を固め、それ以降の原審弁護人との接見は、ほぼ全面的にこれを拒否し出し、00年9月以降になると、原審弁護人との接見に対する拒否傾向はそれ以前ほどではなくなっているが、その時期においても、その時々に接見に応じたり、応じなかったり自己の意思で選択し、接見に応じた場合でも話す能力があるのに原審弁護人とほとんど意思疎通を図らないという態度を貫いていたのである。
以上のように、被告人は、本件が当裁判所に係属し、弁護団が原審弁護人から当審弁護人に代わっても、弁護人に対する不信、非協力の姿勢は、何ら変わっていないとみられる。
〈2〉被告人の原審公判における言動を軸にし、被告人が弟子たちの法廷で証言を求められた際の供述などをも参照しながら検討しても、被告人が原審公判の初期の段階で有していた相当高度の防御能力が減衰し、被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力、すなわち、訴訟能力を欠くに至ったという疑いは生じない。
(とはいえ、被告人が死刑求刑が必至の自己の裁判において、審理の半ば過ぎから、居眠りを繰り返すなどし、痴呆〈ちほう〉のような態度を示していたことは、自ら装っていたという側面もある一方、東京拘置所での日常生活の様子等にもかんがみると、精神活動の低下もある程度来していたことを示しているのではないかとも思われる。したがって、被告人が原審公判の初期の段階で有していた相当高度の防御能力がそのまま原審公判の終局が近づいた段階でもそのまま維持されていたとみることには疑問を容れる。しかし、そうであっても、前述の諸状況にかんがみれば、訴訟能力がなかったとか、これが最低ぎりぎりの線までに落ちていたなどとは到底いえず、なお十分なる防御能力、訴訟能力を有していたと優に認めることができる)
そして、被告人は、ついに原判決の宣告日に至り、原判決宣告を受け、東京拘置所に戻った後、「なぜなんだ、ちくしょう」と大声を発する、ということになるのである。原判決宣告当日のこの言動は、前述したとおり、被告人が死刑判決という重大判決を受けたことを認識したがゆえのものであることは明らかであり、もとより被告人に発語能力があることを示すものでもある。いずれにしても、この時点で被告人には十分なる訴訟能力があったことに疑問の余地はない。
〈3〉東京拘置所長作成の多数の回答書等全資料を改めて点検精査しても、被告人には原判決宣告後に至って新たに拘禁性精神病を発病した、というエピソードは特に見あたらない。そうすると、被告人が原判決宣告の後、原判決宣告日の時点で有していた訴訟能力を失うに至ったという疑いは生じない、といわなければならない。
〈4〉以上にみてきたとおりであるから、被告人は訴訟能力を欠いていないと判断できる。