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若者の特権だったのだ、と今は思う。半世紀近く前のあの日、自分の未来には無限の可能性があると信じて疑わず、小倉駅から旅立つことができたのは。
18歳の秋だった。松本零士さん(67)は、連載していた漫画誌の版元から上京を勧められ、小倉駅から1人、夜行列車に乗り込んだ。手には、ペンとインク、紙を詰めたカバン一つ。財布の中身は、レコードや手製の真空管アンプを質入れして作ったわずか700円。「もう帰る家はない。後は、ひたすら漫画を描き続けるだけだ」。強い決意だった。
家は貧しく、父親からは「大学進学は、あきらめてくれ」と言われていた。その悔しさを、2人の弟には味わわせまいと、「じゃあ、弟たちはオレが大学に行かせる」と宣言もしていた。気負わぬ訳がない。東京までSLで一昼夜の長旅も、興奮でほとんど眠れず、さまざまな思いが胸の中をよぎっていく。
「この汽車が空を飛べばなあ」「向かいに美女が座っていたら」。小倉を夕方たった汽車は、やがて夜の闇に包まれる。目に見える光といえば、幾千もの星のまたたきだけ。「星の海を飛んでいるようでした」
後年、この記憶が、漫画「銀河鉄道999」のモチーフとなる。主人公の少年が、SL型の宇宙列車に乗って地球を離れるシーンには、自分の旅立ちの日の決意を重ねた。「決断することが大切なんです。あの時、駅から旅立たなければ、今の自分はなかった」
駅前にある美容院の店長、田中徳啓(のりひろ)さん(46)にとって駅は、成長のチャンスをくれた場所だった。19歳で美容師になり、駅ビル内の店に勤めたが、なぜか勉強してきた技術が通用しない。それがある日、アメリカ人の髪を切るとうまくいった。「当時は、アメリカの技術がそのまま伝えられ、日本人には合っていなかった」。そう気づいたからこそ、自分なりに工夫する道を選べたのだった。
後に独立し、一度は駅から離れた場所に店を構えた。が、4年前、再び駅前に戻った。「もう駅ビルは建て替えられていましたが、やはり駅は流行に敏感な場所。自分の技術を磨くには、そういう場所にいないと」。人も情報も行き交う駅に、今も刺激を受けている。
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/world/station/20051226tb05.htm