悪のニュース記事では、消費者問題、宗教問題、ネット事件に関する記事を収集しています。関連するニュースを見つけた方は、登録してください。
また、記事に対するコメントや追加情報を投稿することが出来ます。
改札を出て薄暗い階段を上ると、すれ違う人波の先に小さな四角い空が見えた。地上に出れば「花のギンザ」の真ん真ん中。4丁目交差点である。だが街の華やかさとは裏腹に、交差点付近の階段はどこも狭苦しい。銀座線が開通して駅ができた1934年から、ほとんど姿を変えていないのだ。
62年の秋分の日。高知生まれの山本健一さん(56)はその階段を上った。同じ年の5月に上京。渋谷で新聞配達をしながら中学に通っていた。当時は日曜日にも夕刊があり、休みは年に数回の休刊日だけ。東京に来て初めての休日に向かったのが、銀座だった。
「故郷で見た(石原)裕次郎の『銀座の恋の物語』。あれに出てくる時計台が見たくてね。もちろん地下鉄も初めて。大冒険でしたよ……。忘れられない1日だなぁ」
後に「山本一力」の名で直木賞作家となった山本さんは、タウン誌『銀座100点』に寄せたエッセーに、銀座を歩いたときの興奮をつづっている。〈高知の同級生に、この姿を見せたいと思った。映画のシーンと同じことをしている自分が、なんとも自慢に思えた〉
老舗そば店「よし田」の店員、高山友恵さん(20)にも「忘れられない1日」がある。
山形県新庄市の中学を出て住み込みで働き始めたが、友達もできず、仕事は覚えるだけで精いっぱい。疲れ切って布団に倒れ込むと、窓越しにホステスと酔客とのやりとりが聞こえてくる。「ありがとうございましたぁ」「じゃ、またな」。そんな夜の街のにぎわいが、いっそう心細さを募らせた。
JavaScriptを使用するようにすると、拡大したイラストをご覧になることができます先輩の家に遊びに行き1人で地下鉄に乗って帰ってきたのは、ちょうどそんなころだ。駅には着いたが、あまりの出口の多さに迷った。目の前の階段を上って地上に出たものの、そこは見覚えのない大きな交差点。思えば、銀座を歩くのも初めてだった。
交番で聞き、道行く人に尋ねて、なんとか店にたどり着いたのは数時間後。「でも、ホッとするより、1人で帰って来られた満足感のほうが大きかった。この街で自分は変われるかもしれない。頑張ろうって思いました」
駅から銀座へ続く狭い階段。それは、大人になるための階段なのかもしれない。