2004年12月25日(土) 00時00分
路面電車 安さ日本一20年市街地を走り抜ける路面電車。傾斜地が多く、山の上まで建物が立ち並ぶ=長崎市出島町で(朝日新聞・)
「どこまで乗っても100円玉1枚の路面電車」で知られる長崎電気軌道(長崎市)が、全国一の安い運賃を守り続けて20年が過ぎた。バブルの到来と崩壊、消費税の導入と税率アップの波にもまれたが、今も年間に地球65周分の約260万キロを走る坂の街の名物だ。(伊藤和也)
年間地球65周走る 「両替したいんですけど」。車内で、修学旅行中の女子高校生が千円札を差し出した。運転士の男性は半透明の2袋を手渡し、料金箱を指した。「1枚入れてね」。粉薬のように100円玉が5個ずつ入っている。生徒は同級生に言った。「すごーい。レトロー」
彼女たちが生まれる前の84年6月、運賃は90円から100円になった。
なぜ維持できるのか。長崎市は約7割が傾斜地だ。00年の国勢調査結果によると、人口集中地区の人口密度は1平方キロ当たり7915人。札幌、仙台、千葉、名古屋、広島より多い。市中心部の駐車場は慢性的に不足気味で、車より路面電車を使う人が自然に増える。
大浦天主堂、グラバー園、平和公園、出島と主な観光地をつなぎ、年間500万人を超える観光客にも人気だ。03年度の利用客数は2063万人だった。
全国に先駆けて64年に導入した車体広告が収入を支える。03年度決算で23億円余の収入のうち約12%を広告費が占めた。1台を1カ月貸し切った広告費は制作費を含めて約70万円。78両のうち33両を占める中古車両は1台6千万円前後で、新車の半額だ。
世界の路面電車を50年以上も乗り歩いてきたドイツ人男性シェーデルバウアー・バーナーさん(69)は「短い車両で本数を多くして乗客を待たせない工夫がいい。運賃100円は世界でもかなり安い方ではないか」と感心する。
「値上げするいい方法はないのか」。100円に値上げして5年後の89年に3%の消費税が導入された際、長崎電気軌道に旧運輸省の担当者から電話が入った。しかし、佐藤龍太郎社長(74)は「10円(10%)の値上げは便乗値上げになる」と見送った。
97年に税率は5%に上がった。社内からも「値上げのいい機会ではないか」という声が出たが、「100円運賃は定着しているから」と据え置いた。今では130円の東京急行電鉄を引き離して全国一安い運賃だ=表・左。
02年度に3822万人で輸送人員が1位の広島電鉄(広島市)の関係者は「20年以上も維持するのは本当にすごい」と驚く。「ワンコインで利用しやすいから支持されているのだろう」。同社は89年に10円、消費税率アップの97年に20円値上げした。「経費を抑える努力を見習わないと」
長崎市の公共交通機関の輸送人員で路面電車のシェアは、バスやタクシーとは対照的に右肩上がりだ=表・上。佐藤社長は「熱烈な支援をいただいてきた。100円は間違いではなかったと思う」と振り返る。もちろん、移動には路面電車を使う。
各地の路面電車の運賃
事業者名 運賃 (営業距離)
長崎電気軌道 100円(11.5キロ)
札幌市交通局 170円(8.5キロ)
函館市交通局 ※200円(10.9キロ)
東京都交通局(新宿区) 160円(12.2キロ)
東京急行電鉄(渋谷区) 130円(5.0キロ)
富山地方鉄道(富山市) 200円(6.4キロ)
万葉線(富山県高岡市) ※150円(12.8キロ)
福井鉄道(福井県武生市) 180円(3.3キロ)
名古屋鉄道(名古屋市) ※160円(23.9キロ)
豊橋鉄道(愛知県豊橋市) 150円(5.4キロ)
京阪電気鉄道(大阪市) ※160円(21.6キロ)
京福電気鉄道(京都市) 200円(11.0キロ)
阪堺電気軌道(大阪市) 200円(18.7キロ)
岡山電気軌道(岡山市) 140円(4.7キロ)
広島電鉄(広島市) 150円(19.0キロ)
伊予鉄道(松山市) 150円(9.6キロ)
土佐電気鉄道(高知市) 180円(25.3キロ)
熊本市交通局 ※130円(12.1キロ)
鹿児島市交通局 160円(13.1キロ)
(国交省鉄道局調べ。全国路面軌道連絡協議会加盟の19事業者。カッコ内の地名は本社所在地。※はキロ変動制を採用している事業者の初乗り運賃。無印は同一地域内均一運賃)
長崎市内の公共交通機関別輸送シェア
85年 89年 93年 97年 01年
長崎電気軌道 13.6% 14.5% 16.1% 17.6% 19.4%
鉄道(JR) 5.3% 6.6% 7.3% 8.8% 10.3%
バス 59.4% 56.1% 56.7% 55.7% 53.3%
タクシー 21.7% 22.8% 19.9% 17.9% 16.9%
(市交通企画課調べ)
長崎電気軌道 1914年8月創立。翌年11月、病院下(現在の大学病院前)〜築町の約3・7キロで営業を始め、34年12月までに9・8キロに延伸した。45年8月の原爆で従業員約500人のうち百十数人が死亡。電車56両のうち16両が焼失し、不通になったが、53年7月に全線復旧した。68年6月に現在の11・5キロに延伸。資本金2億1千万円で、4月現在の社員数は229人。
初めて乗った時のことを今も覚えている。長崎に赴任したばかりの昨年4月。いつもはマメな私だが、「100円玉1枚ぐらいあるだろう」と、財布の確認を怠った。車内に両替機はなく、運転士さんに両替を頼んだ。手渡された袋に新鮮なレトロ感を覚えた。
取材の際に「100円運賃ならではですよね」とこの話をすると、「両替機の導入費用もバカにならないから」。中古電車を活用し、社長が自腹を切って路面電車を使う。裏で並々ならぬ経営努力をしていたのだ。酷かもしれないが、あえて言いたい。これからも頑張ってほしい、と。
(12/25)
http://mytown.asahi.com/nagasaki/news01.asp?kiji=4428
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