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社会を活性化する規制緩和で増えると予想される紛争を予防したり、透明、公正に解決するには、法というルールを社会に浸透させる必要がある。そのために法律実務家が「社会生活上の医師」として社会の隅々にいなければならない。
従来は法知識を試す司法試験に合格すれば法曹資格を取得できたが、実務法曹に必要なのは法知識だけではない。法的な思考力、問題点をつかみ解決するための事実調査力、面接技術なども求められる。豊かな社会常識を有するバランスのとれた人格であることは大前提だ。
このような理念で採用されたのが法科大学院、いわゆるロースクールによる法曹の大量養成方式だ。
当然、法科大学院修了を受験資格とする新司法試験は、知識偏重からロースクールの教育成果を確認するものに変わらなければならない。
しかし、大学院発足から半年以上たっても具体像が示されず、学生や教員を不安にさせている。ロースクール一期生が受験する二〇〇六年度の合格者数を、暫定措置として残された旧型試験の合格者数と同程度にするという政府案の情報も流れて不安をさらにかき立てている。
合格者数や合格枠をあらかじめ決めるのは、資格試験である司法試験の性格に反する。仮に合格者を絞らざるを得ないとしても、法曹養成を一点突破型から課程重視型に転換した以上、ロースクール経由者を優先するのが正しい方向である。
数の問題は合格者に最高裁主導で実務教育をする司法研修所の収容能力にも関係している。教育権を完全には失いたくない最高裁の思惑、研修所で裁判官や検事と「同じ釜の飯を食った」経験への弁護士の郷愁などから生き残った形の研修所だが、法科大学院の実務教育を充実すれば不要だ。廃止を目指すべきである。
法科大学院は実績による淘汰(とうた)を見越して設立条件が緩いため六十八校もあり、過剰とも評される。だが、実務法曹養成に特化した教育機関だから、「司法試験の不合格者は進路変更すればよい」という安易な姿勢は許されない。
教育の態勢や内容を評価する第三者機関も活動を始めている。教える側も学ぶ側も「これで実務法曹として不足はあるまい」と胸を張れるような教育、研究でなければ、未来への展望は開けない。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20041215/col_____sha_____003.shtml