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昭和20年代頃までは隣村へ行くにも苦労して行ったという陸の孤島、檜枝岐村。標高950メートル、高くて米が作れず、主食は蕎麦や稗(ひえ)、粟(あわ)ばかりだったという。それでも、山仕事に精を出す主人のために、女房たちが山の幸を素材にして工夫を重ね、多彩な料理を作りあげた。それが山人料理である。限られた食材から編み出された心づくしを存分に味わってみたい。
そばや山菜などの山の幸を工夫し、栄養バランスのとれた多彩な料理
尾瀬観光の拠点あるいは駒ヶ岳登山の入り口として知られる檜枝岐村。最短の東北道西那須野塩原ICからでも約2時間というまさに“陸の孤島”だ。この地に古くから伝わるのが山人料理。山人とは、山にこもって狩りに明け暮れ、木を切り、しゃもじや曲げ輪っぱなどの木工製品を作って生計を立てる人たちの地元での呼び名。彼らが常食としていたのが山人料理だ。今回、民宿「別館かどや」を営む平野良中さん(81歳)・八千代さん(75歳)夫妻に再現してもらった。
檜枝岐村の標高は約950メートル。高地とあって水温が低く、しかも荒れ地が多いためにここでは米が作れない。県内でも水田のない市町村はここだけといわれている。昭和20年代頃までの主食は、蕎麦と稗、粟などの雑穀類。タンパク源は、マタギがとってきた熊やカモシカ、山ウサギ、テンなどの獣肉や、イワナなどの川魚である。米のご飯が口に入るのは、冠婚葬祭の時ぐらいだったという。
山人料理はまず、そば粉を熱湯でこねる。そば粉100%だから、ボソボソになるところを熱湯でこねることで粘着性をもたせ、つなぎの役目を兼ねさせていたのだろう。これをちぎって団子にし、げんこつが入る程の空洞を作り、この中に細かく切った熊肉や山菜の炒めものを入れて包み込んだ「焼き餅」が登場。春先にとって冷凍保存しておいた熊の肉を使うので、クセもなく食べやすかった。
次に、餅キビの粥にそば粉を混ぜて練ったものに、荏胡麻(えごま)をまぶした「はっとう」、そばで作ったすいとんが入った味噌汁仕立ての「つめっこ」、自家製のどぶろくを練り込んで保存性を高めた「酒焼き餅」などが続々と囲炉裏端に並ぶ。「酒焼き餅」は酒の香りがとても強い。これは、長期間持ち歩いても食べられるようにするためと、寒さから身を守る気付けがわりの食糧としての役割もあった。
「限られた材料をいかに工夫して変化を持たせるか。それが、山人の女房たちの知恵の見せ所だったんですよ」と、八千代さんは昔を懐かしむように語った。
何日も山にこもっていた主人を迎える日に、特に念入りに作ったのが「裁ちそば」。そば粉100%で練り上げるから、折り畳めば簡単に切れてしまうため、たたまずに20枚くらい重ねて布を裁つようにして切るところからこう名付けられたという。
この他、ワラビや山ウド、ユキザサなどの山菜の煮物や炒めもの、近くでとれたイワナの塩焼きなど、質素ながらも華やかな山の味覚が勢ぞろいする。(文・写真/藤井勝彦)