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オウム真理教事件のさなか、大がかりな摘発に乗り出していた警察庁のトップが銃撃された事件は、9年の歳月を経て解明に動き出した。小杉敏行・元警視庁巡査長らは事件後、何度も警視庁の事情聴取を受けていた。事件が急展開したのはなぜか。逮捕された男たちはそれぞれどのような役割を担っていたのか。謎の解明が待たれる。
雨の降る95年3月30日午前8時30分ごろ、国松孝次・元警察庁長官(67)は出勤のため高層マンションの通用口から出てきたところを狙撃された。20メートル以上離れた隣接する植え込みの陰から4発。うち3発が腹などに命中した。地下鉄サリン事件から10日後、オウム真理教を巡る事件の摘発を全国の警察に指示した直後だった。
摘出された弾丸などから、使用された銃は米コルト社製の38口径回転式拳銃と推定される。銃の扱いに慣れた男という犯人像が浮かんでいる。
目撃情報によると、犯人は30〜40代の男で身長175センチ前後。銃撃後自転車に乗って建物間を全速力で走り去った。
現場には、北朝鮮製とみられる人民軍のバッジと韓国のウォン硬貨が落とされていた。
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当時警視庁本富士署員だった小杉敏行容疑者(39)が事件への関与を自供していることが明らかになったのは、1年7カ月がたった96年10月。調べに「自分が撃った」と供述していたという。
当時の供述では、「諜報(ちょうほう)省」トップだった井上嘉浩被告(34)と一緒に3回にわたって銃撃現場を下見した。銃撃事件5日前の夜には、井上被告から「これが敵です」と、国松元長官の顔写真を見せられた。当日、教団幹部の運転する乗用車で現場に行き、逃走用の自転車や現場で指示を受けるための無線機も渡されたという。
しかし、供述には裏付けが得られないものも多かった。小杉容疑者は銃を神田川に捨てた、としていたが、警視庁の捜索で発見されなかった。事件後の足取りについて小杉容疑者は、病院で治療を受けたとしていたが、捜査では、小杉容疑者が病院に立ち寄った記録はなかった。自ら撃った、とする供述も最近になって取り下げていた。
今回の逮捕容疑も「実行犯の逃走を支援する役割」。警視庁は「小杉容疑者が撃ったのではないと考えている」としている。
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植村(旧姓・岐部)哲也容疑者(49)については、現場で目撃情報があった。事件直後、現場からJR南千住駅に向かう路上で目撃された「黒っぽいコート」「黒自転車」の男の特徴が、植村容疑者に似ているというものだった。現場に残された硝煙反応の位置などから推定される身長とも合致していた。
植村容疑者は事件前日、都内で別の幹部と会った後、午後に山梨県上九一色村の教団施設に帰ったが、当日の3月30日未明、この幹部とともに車で上九一色村を出発。午前7時ごろに、東京都千代田区内で下車していた。その後の足取りは途絶え、同日夕に再び同村に戻っていたとされる。
砂押光朗容疑者(36)は事件直後に、次のターゲットとして警視総監や内閣情報調査室長を名指ししていた。
石川公一容疑者(35)は事件前日、現場近くの国道で、女性信徒の運転する車に乗っていたところを警察官に職務質問されていた。警視庁が教団施設から押収した資料のなかに、銃撃事件について記した石川容疑者のメモも見つかった。警視庁は石川容疑者が、銃撃事件について事情を知っていると見ている。(07/07 11:47)