2004年06月24日(木) 19時41分
[継ぐ・松本サリン事件10年]第2部/中 報道は変わったか /長野(毎日新聞)
◇蓄積・継承されぬ教訓−−襟を正さねば自らの首絞める
03年5月。白装束集団「パナウェーブ研究所」の動向を巡る報道が過熱した。同月6日、集団の車列が開田村から県内に入ると、各メディアは集団の行動を逐一報じて連日、集団の「異様さ」を強調した。
松本サリン事件の第1通報者で県の公安委員、河野義行さん(54)は、これを見て「10年たっても、マスコミは変わっていない」と感じたという。
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「松本サリン事件」が発生した翌日の94年6月28日、捜査本部は「第1通報者の会社員(河野さん)宅を、被疑者不詳の殺人容疑で家宅捜索した」と発表。これに端を発し、河野さんを容疑者視した報道が始まった。抗弁もむなしく、オウム真理教(アーレフに改称)の存在が浮上するまで、身の潔白を完全に証明することはできなかった。
毎日新聞は95年6月6日付の朝刊で、事件報道の検証記事を掲載。その中で、(1)警察を主な取材源としたこと(2)他紙にも同様な記事が掲載されることで「大丈夫だろう」との姿勢が記者にあったこと——などを取材の問題点として挙げた。
事件後、報道各社は社内オンブズマン組織を設置するなど、報道被害の防止と救済に乗り出した。しかし河野さんは「根本は何も変わっていない」と指摘する。
情報源が捜査機関に偏重した事件取材体制、各社の「横並び意識」、人権意識が希薄な断定調の報道。パナウェーブ問題で、10年前の「過ち」が生きていないことが露呈した。「サリン事件を取材した記者はそれぞれに傷を負い、教訓を得た。しかし記者の入れ替わりが激しく、教訓が社内に蓄積されていないのでは」。河野さんは厳しい口調で語った。
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今年6月。長野地裁上田支部での殺人事件初公判で、傍聴席の遺族に「県犯罪被害者支援センター」のメンバーが付き添っていた。閉廷後、取材を求める記者から、遺族を「守る」ためだった。
市民のメディアを見る目は厳しさを増し、各地で同様の活動が始まっている。これらを踏まえ、02年には個人情報保護法案が国会で審議されたが、法案の中には「個人情報保護」を名目にした「報道統制」にもつながりかねない内容も含まれるなど、新たな問題も浮上している。
「報道に携わる者は、自らの襟を正さなければならない。そうでないと、自分たちの首を絞めることになる」。河野さんの言葉が重く響く。(つづく)(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040624-00000002-mai-l20