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■会見、手記顔写真提供 『もう、いたたまれぬ』
「事件後、御手洗さんは取材する側が求める前に、先取りして手記を出している。取材者として感心するのを通り越して、もういたたまれない」
被害者の御手洗怜美(さとみ)さん(12)の父親、恭二さんをよく知る地元紙の佐世保支局長(54)は、この間の御手洗さんの対応を振り返りながら、こう漏らした。
現場で報道する側にいた人が、突然報道される身になったことに、戸惑いも隠せない。今月一日の事件発生当日、御手洗さんは記者会見を開いた。会見の冒頭、御手洗さんは「古いんですが」と断りながら、怜美さんの顔写真を各社に配ったという。
■『父』と『報道人』に心揺れ
「記者は、事件が起こったときに写真を入手するのに非常に苦労する。つらい思いをしている遺族や関係者にあたり、それでも現実には入手できないことも多い。御手洗さんの気持ちを思うと泣けてきた」とこの支局長は話す。
御手洗さんは会見で混乱しながらも、怜美さんとの最後の会話などを語った。この後、手記やコメントを三回発表している。
■苦悩の中でも『なぜ事件が』
手記は、報道する側の責任感と報道される側の苦悩の間で揺れた。加害女児の精神鑑定が決まった十四日には「彼女がなぜ怜美を殺さなければならなかったのか。そこにつながる何かが、見つかることを強く期待しています」とコメントした。事件がなぜ起きたのか、報道人らしくあろうとする抑制が垣間見える。
一方で、十二日に発表された二回目の手記では、怜美さんの名前や写真が繰り返し報じられることに「勝手なことなのですが、『もう名前や写真を出さなくてもニュースや記事として成り立つのでは』と思ってしまいます」と心情を吐露した。
埼玉県の桶川ストーカー殺人事件で、娘を失った猪野憲一さんは「一般人なら、娘が殺害されて頭が整理されていないままで会見に出ることは無理だ。記者じゃなかったら『嫌だ』と言えた。御手洗さん本人の責任感もあったと思うが、『報道する側なんだから出ろ』あるいは『出てほしい』という有形無形のプレッシャーがあったのではないか」とみる。
■会見出席中止 『ほっとした』
逆に一週間後に、会見に出ることができなくなった状況に「ほっとした」と打ち明ける。「いくら義務感が強くても、心の乱れの方が強い。無理をした分だけ、ご本人の負担が重くなる。最初の手記の文章が混乱しているのは、娘を失った直後の父親の気持ちとして当然の心境だ」と話す。
猪野さんは「事件直後、報道陣に囲まれて娘について語ったり、写真を出されるのを『嫌だ』と思うのは普通のことで、遺族の嫌がる気持ちを尊重するのは当たり前だ。御手洗さんのように最初は『いい』と言ったケースでも、次第に耐え難くなっていく」とその苦しみの重さを話す。
■記者の義務感 社が支援
毎日新聞西部本社代表室によると事件直後は、同室が取材窓口となり、取材要望など御手洗さんと各メディア側との仲介役を担った。世話係をつけるなど御手洗さんのサポートにも徹している。会見や手記などの情報提供は、御手洗さん自身の判断に任せ、代理人の弁護士と御手洗さんが相談して決めているという。
「学校や警察、児童相談所などとの対応をする人を探してほしいという話が本人からあり、弁護士は会社で探した。本人は心の整理をするのが精いっぱい。同年配の人をという希望だった」と同室担当者は話す。
こうした対応について同室担当者は「今回の事件は毎日新聞とは関係ない個人の事件。毎日だから起きたというわけではなく、業務と関係あるわけではない」と一義的には社は当事者ではないとの立場。ただ「御手洗を守るために現地に行っている。毎日新聞を守るために行っているわけではない」と社員へのサポートは必要との考えを示す。
一方、報道する側としては「毎日新聞の社員も二階の支局で仕事をするだけで、三階の御手洗さんの住まいには立ち入らないと決めた」と前出の地元紙支局長は説明する。
■欠かせぬ被害者報道の視点
同室担当者も「当初、代表室がすべてのマスコミの対応窓口となった。すべてのというのは毎日も特別扱いをしないということだ」と報道の中立性や客観性の観点から、当事者から距離を置いていると強調する。実際、九日付朝刊で「同僚が付き添っているが、記者会見以外では本紙取材班とも接触していない」とのコメントを掲載した。
事件当事者を抱えた場合、関係する情報開示に他紙はどう対応するのか。朝日、読売、産経各紙に加え本紙も事件当事者となった社員への対応について取り決めを設けておらず、「ケース・バイ・ケースで判断する」との立場だ。
■本人配慮必要だが『公表に一定の責任』
ただ「メディアの一員として情報開示には十分配慮する」(朝日新聞広報部)、「(今回のような場合)できる限り情報開示に努めるよう求めるかもしれませんが、それ以上の要求はできない」(産経新聞広報部)。「本人の承諾を得ながらできるだけすみやかに、できる範囲の情報の公表は責務」(本紙の藤本直紀編集局次長)と、情報開示にはメディアとして一定の責任もあるとの考えを示す。
一方で、判断の主体は「あくまで報道人である本人の判断に委ねられるべきではないか」(産経)との指摘もあった。
桶川ストーカー殺人事件の国家賠償訴訟を支援する会の世話人も務めている上智大学の田島泰彦教授(メディア論)は「外側から強要されて、メディアだから情報公開しなくちゃいけないというものではないと思う」と話す。
「気持ちの整理がつかない段階で、あそこまで会見に応じ心情を伝えるというのは大変なことだと思う。気持ちが落ち着き、言いたいことができた段階で本人に話してもらうというのが、被害者報道の本来のあり方ではないか」と指摘、メディアにはそのサポート役が求められるという。
立正大学の桂敬一教授(ジャーナリズム論)は「むしろ問われているのは取材者側だ」と話し、こう指摘する。「手記などを見ていると、今の精神状態の中で言うべきことが見つからないという感じも受ける。そんな状態の人の言葉を突き詰めて取材することにどういう意味があるのか。御手洗さんがどう情報公開するかより、取材者が御手洗さんに何を求めているかが問われているのではないか」
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040617/mng_____tokuho__000.shtml