2004年06月09日(水) 00時00分
新聞記者になりたてのころ、先輩から「おい、喪章と数珠はいつ… (東京新聞)
新聞記者になりたてのころ、先輩から「おい、喪章と数珠はいつも持ち歩いてるんだぞ」と教わった▼警察回りは、いつ何どき、事件や事故の被害者を取材することになるかわからない。悲嘆にくれる被害者の親たちに礼を失することなく、話を聞かねばならない。因果な仕事だと思いつつ、親たちを前にすると声をかけかねた。ましてそれがわが身に降りかかるなどは、想像を絶する▼毎日新聞佐世保支局長の御手洗(みたらい)恭二さんは、事件の直後に記者会見に応じた。現場の様子について「怜美(さとみ)が倒れていた。自分の目に映っているものがうそだろ、という感じしかなくて…」。会見を開いた理由について「当然、私が逆の立場ならお願いすると思う。簡単にでも答えなければならないと思った」▼事件から一週間目の七日、御手洗さんは会見を予定していたが、憔悴(しょうすい)ぶりを見かねた医師の助言で手記に代えた。各紙の八日朝刊にその手記が一斉に掲載された▼妻(母)をがんで亡くして落ち込む御手洗さんを、怜美さんは「ポジティブじゃなきゃ駄目よ、父さん」「くよくよしたって仕方ないじゃない」と何度も励ましてくれたという。「さっちゃん。ごめんな。もう家の事はしなくていいから…」と手記は結ばれる。真情を自らのペンでつづった御手洗さんには、もう無理しなくていいよ、と言ってあげたい▼八日は、児童八人が殺害された大阪・池田小事件からちょうど三年。事件の再発防止を願う「祈りと誓いの集い」が、同校で開かれた。しかし事件はまたしても学校で起きた。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/hissen/20040609/col_____hissen__000.shtml