2004年06月05日(土) 13時41分
<小6同級生殺害>「どこでも起こり得る」 教育現場に不安(毎日新聞)
「どの学校でも起こり得るのではないか」。長崎県佐世保市の市立大久保小学校で起きた同級生殺害事件を受け、各地の教育現場でそんな思いが広がっている。感情表現が苦手で、傷つきやすい子供たちの友人関係の危機に、教師はどうかかわればいいのか。悩みながら、事件について子供たちと語り始めた学校もある。【磯崎由美、高橋昌紀】
事件翌日の2日朝、千葉県の公立小学校。6年生の教室で、50代の女性教師が事件を報じた新聞を開いた。驚きや悲しみが広がる中、何の感情も見せない児童がいた。「事件が多すぎて無感覚になっているのか」。ショックを覚えた。
親友だった被害者と加害女児が亀裂を深めたのは、体重についての発言が発端だったとされる。この教師は女児たちが友達の容姿をからかった時のことを思い出した。「相手が傷つくよ」とたしなめたが、「私も言われている。お互いさまだよ」とさらりと言われた。言う側の軽さと、言われる側の傷の深さ。「何がきっかけでそのギャップが広がるか分からない。兆候があった時、気づいてあげられるだろうか」
1学年1クラスと、大久保小と同じ規模の小学校が大阪府にもある。6年生約30人を担当する30代の男性教師は、組替えのないまま6年間を過ごす子供たちの世界を「家族のよう。親密すぎて傷つけ合うことがある」と表現した。
このクラスでは、2年生の時から女児たちのもめ事が多かった。教師が呼びかけ、集めては「何でもめたの?」と話し合った。6年生になった今では、トラブルがあれば自分たちで話し合い、必要な時に「先生、入って」と言ってくるようになったという。「嫌な思いをため込んで爆発しないよう、なるべく早く話をするのが大切」と教師は話す。
このクラスでも2日、事件について話し合った。知らない児童は2人だけで、関心は高かった。校内でも携帯電話で友達とメールを交換する子が増えている。だが、事件の輪郭が見えてくるにつれ、教師は「インターネットが悪いわけではないのではないか」との思いを強くする。「私たちが学校で見ている子供の姿がすべてではない。子供たちの心の背景にある深いものを、考え直さなければならない」
東京都内の小学校では、40代の男性教師が6年生に新聞のコピーを配った。真剣に読む姿に、友人関係の悩みも見てとれた。
ある時、女児3人グループの仲が突然悪くなったことに気づいた。「おせっかいかもしれないけど、ちょっと教えて」と教師が個別に話を聞くと、グループ外の女児から「悪口言われているよ」とうその告げ口をされ、互いに「嫌われた」と疑心暗鬼になっていたことが分かった。3人を集めた。「ごめんね」と涙を浮かべて仲直りする3人を見て、「ちょっと背中を押してあげる」大切さを実感した。
そんな教師も今回の事件には、心を揺さぶられた。「あそこまでの事件を起こす子はいないだろう」と思う。その半面、「加害女児も少し前まではうちの子たちと似たような状況だったのではないか。ささいなきっかけで感情がエスカレートしたのではないか」との不安も募る。「インターネットやカッターナイフを排除しさえすれば、事件は防げたのか」。この疑問に、なかなか答えを出せずにいる。(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040605-00001048-mai-soci