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海は見えないが、その気配は濃い。
改札を出て、南の空に目をやると、数百メートル先で1羽の鳶(とび)がフワリと急上昇するのが見えた。
「あのあたりが砂浜の上空。今日は沖から陸に向かって強い風が吹いている証拠です」
駅名が「江ノ島」になったのは1929年。元は「片瀬停留所」だった
そう説明してくれた仲賢二さん(51)はヨット好きが高じて、11年前に勤務先のある都内から江ノ島駅近くに住居を移した。
「どんなに仕事で頭がいっぱいでも、戻ってきた瞬間にすべて忘れ、海好きの自分を取り戻します」と日焼けした顔で笑う。
藤沢から鎌倉まで、わずか10キロあまりを走る江ノ電の駅はみな質素だ。ここも、4両編成の電車がやっと収まる短いホームと小さな駅員控室、それに改札口があるだけ。
列車が着くと、大勢の老若男女が海を目指してホームに降り立つ。もちろん、しかめ面は1人もいない。お目当ての江の島までは歩いて10分強。神社や展望灯台、植物園、洞窟(どうくつ)、ヨットハーバーなどが出迎える。
藤沢—片瀬(現在の江ノ島)間に江ノ電が開通した1902年以来、島のにぎわいと海辺の開放感を求めた人々が無数にこの駅を通り抜けて行った。
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そういえば、江戸時代に丹沢の霊峰、大山のお参りを終えた人々が江の島に詰めかけたのも、精進落としの開放感を楽しむためだった。歌川広重らの浮世絵にも、訪れた人々のうきうきした様子が描かれている。
海に向かう商店街「洲鼻(すばな)通り」の1本道を歩きながら、ベージュの日傘を差した女性と話をした。横浜市の看護師(42)。年に何度か平日に仕事を休み、1人で藤沢から江ノ電に乗ると言う。
「江ノ電が精神安定剤みたいなもの。平日の鎌倉もしっとりして好きですが、元気になりたい時には、にぎやかな江の島に来ます」
5分ほどで海に出た。真正面が江の島だ。彼女は少しだけ足を速めて、島に続く弁天橋を渡っていった。
45年間江ノ電に勤務し、昨年退職した代田良春さん(68)はこの近くに住む。
「江ノ島駅は大人の遊園地への入り口でもあるんです。今も昔もね」