2004年04月15日(木) 03時09分
三菱「ハブ」欠陥、耐久試験は生産開始後(読売新聞)
三菱ふそうトラック・バス(昨年1月に三菱自動車から分社)製大型車の車軸周辺部品「ハブ」の欠陥問題で、同社は事故が多発した「D型」ハブについて、開発段階では耐久試験を行わず、生産開始の翌月になって実施していたことが14日、わかった。
2002年1月に起きた横浜市の母子死傷事故は、このDハブの破断が原因。開発された1993年当時は、多くの荷が積めるようになる総重量規制緩和を前に各メーカーの販売競争が激化しており、捜査当局や国土交通省は、同社が実用化を急いでハブ生産開始を繰り上げた可能性もあるとみている。
ハブは開発順にA—Fの6種類があり、同社の車両をめぐる計57件の事故はすべて前輪で起こった。問題のDハブは92年夏以降に設計開発に着手、93年3月、生産を始めた。
同社は設計上、前輪ハブ1つが耐えられる重量を、Bハブについては5・7トン、C、Dはともに6・0トンと計算。DはCを土台に設計したもので、ボルト穴の周辺を厚くするなど形状を微妙に修正したという。
国交省によると、ハブ開発は研究室で試作品に繰り返し負荷を加え、確かめる「耐久試験」を実施するのが自動車業界の常識で、同社は3月24日のリコール(回収、無償修理)届け出の際の会見で、B—Dのハブについては「耐久試験を行った」としていた。
ところが国交省が調べたところ、Dの試験は生産開始約1か月後の4月で、試験そのものが意味のないものだった疑いが出てきた。
旧運輸省は93年11月の政令改正で、荷物などを含めた大型車の重量制限を20トンから25トンに緩和した。トラック業界はそれをにらみ、90年代に入ってから「5トン」の上乗せに耐えられる新型車両を次々に開発していった。日野自動車が92年、いすゞ自動車は94年にフルモデルチェンジの新車を販売。これに対して、三菱は90—95年、5回のマイナーチェンジを繰り返した。
国交省の係官らは「試験が後になったのは、マイナーチェンジした新型車を、生産を繰り上げて発売しようとしたためではないか」との見方を強めており、同省は、ハブの変更とマイナーチェンジとの関連を詳しく調べている。
Dハブ事故は96年9月以降、計30件発生。全体の半数以上を占める。同社は94年10月、金属の材質だけを変更した「D’(ディーダッシュ)」と名付けたハブに変更。耐えられる重量は6・5トンと計算していた。そのD’も8件の事故を発生させており、国交省や捜査当局では、ハブ破断の原因は形状などの設計にあったことを裏付ける事実とみて、開発過程を調べている。(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040415-00000301-yom-soci