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2004年04月08日(木) 00時00分

タイヤ脱落問題 2つの責任 東京新聞

 三菱ふそう(三菱自動車から分社)の大型車タイヤ脱落問題は、リコール回避を狙った三菱側の虚偽報告と思わせる新事実が次々に明らかとなっている。犠牲者を出しながらも欠陥に関する正確な報告を怠った三菱側の「隠ぺい体質」。度重なる事故にも、言い分を疑わず見過ごしてきた国土交通省の「監査能力」。二つの責任を検証した。 (浅井正智、蒲 敏哉)

 「監査担当者がだまされたという思いはある」

 六日の記者会見で、石原伸晃国交相は三菱ふそうに強烈な言葉を浴びせた。

 二〇〇二年一月に同社のトレーラーからタイヤが外れ、直撃を受けた母子が死傷した事故後の同年六月、国交省は特別監査を実施している。だが、今回のリコールの原因となった、タイヤと車軸を結ぶハブの亀裂に関するデータが含まれていたものの、三菱ふそう側の説明不足から設計上の問題点が見過ごされた。

 リコールを避けるために情報開示しなかった可能性が強く、国交省は「法的措置も考える」(石原国交相)と、道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑での刑事告発を検討している。

■不祥事隠し度々 教訓にはならず

 三菱の不祥事隠しはこれが初めてではない。二〇〇〇年七月に欠陥のある車を運輸省(当時)に届け出ず、ユーザーの苦情があった場合にのみ修理した「リコール隠し」が発覚し、後に道路運送車両法違反で摘発された。同省の立ち入り検査で苦情に関する報告書が一九九八年四月以降、数千点も隠されているのが判明、一部は社員のロッカールームに置かれていた。

 このリコール隠しで三菱自はブランドイメージが急低下し、販売不振に陥ったが、同社にとって、この苦い経験はまるで教訓になっていなかったようだ。

 「三菱グループ幹部と話していると、『われわれは日の丸のためなら何でもする。“民生品”はこの程度のものでいい』というのが言葉の端々から伝わってくる。今の状況にも危機感をもっている幹部はいないのでは…」と話すのは自動車評論家の三本和彦氏だ。

 三菱自は七〇年に三菱重工業の自動車事業本部が分離・独立してできた。その三菱重工は戦前の零戦や戦艦大和から世界最強の防空兵器といわれる現在のイージス艦に至るまで、日本の国防産業を担ってきた。

 「軍需産業だけに秘密を明かさないのが伝統になってきた。それが三菱の隠ぺい体質につながっている」と経営評論家の梶原一明氏は指摘する。「三菱は国家なり」という自負が脈々と受け継がれてきたようだ。

 三菱自の歴代社長には、太平洋戦争時に戦闘機開発に当たった久保富夫氏や曽根嘉年氏、東条英機元首相の二男、東条輝雄氏らそうそうたる顔ぶれが並ぶ。

 九〇年代前半に中村裕一社長の下、「パジェロ」や高級乗用車の「ディアマンテ」が当たり、トヨタ、日産に肉薄するのでは、といわれたのが同社の絶頂期だった。九五年六月に中村氏の後継となった塚原董久氏が、社長就任直後に病気のため入院。「そのあたりから、三菱自の不幸が始まった」(梶原氏)

 九七年には総会屋への利益供与問題で、当時の木村雄宗社長が引責辞任し、九八年には米国子会社の米国三菱自動車製造がセクハラ事件で、三千四百万ドル(当時のレートで四十八億円)というセクハラ訴訟史上最高額となる和解金を支払うなど、相次ぐ事件で世間を騒がせてきた。

 中村氏が社長を退いて九年。交代した社長は塚原氏から次期社長に内定しているアンドレアス・レンシュラー氏まで六人を数え「リーダーシップを発揮するにもできない状態」(梶原氏)が続いている。

 「役所そっくりの三菱の組織も不祥事隠しの伏線にある」と三本氏はいう。

 「工学博士号をもつエンジニアが開発した新車に設計不十分な点があったとしても、ほかの者は将来のエリートにそんなことは言い出しにくい。不具合があれば車検のときにでも修理してもらえばいいという雰囲気が全社的にある」

 こうした三菱側の「隠ぺい体質」もさることながら、国交省の「監査能力」についても疑問は募る。前述のとおり〇二年一月の母子三人死傷事故後、六月には同社の品質保証部門を特別監査していた。しかし、このときも「設計ミス」という根本的な問題を、神奈川県警が捜査するまで見つけることができなかった。

■「これがすべて」信じるしかない

 同省自動車交通局技術安全部審査課の担当者は「私たちが行う監査は、道路運送車両法の中で“犯罪捜査のために行うとみなしてはならない”というただし書きがある。強制力もない。相手側が『これがすべての資料』と示せば信じるしかない」と強調し、当時の監査状況を説明する。

 「当日は四人の技官が訪問したが、三人は大型車両全体を受け持ち、問題のハブ担当は一人だけ。しかも会社側は磁気探傷検査で見つかった微少な亀裂の問題点を積極的に説明しなかった。さらに、設計上のミスと判断できるデータも示さず、担当技官が見つけた問題点にも『特異なケース』としてあくまでも整備上のミスを主張していた」

 ハブ破断につながる微少亀裂については三菱側のコンピューターに記録されていたことが後に分かっている。担当技官がこのとき、コンピューター記録を精密に監査していれば、問題が分かったのではないかとの点については「監査は二日間行ったが、チェックしなければならない資料は多い。コンピューター画面だけを見続けるのは困難で、今になって『よく見ていなかった』と非難されるのはおかしい」と反論する。

 ただ、リコールを審査する国の体制については「立ち入り検査を行う技官は本省に七人。地方に九つある運輸局には原則一人しか配置されていない。対する監査対象は、国産車から輸入車、建設、農業機械メーカーまで数十社が対象だ。この陣容で調べるのはしんどい話だ」と明かす。

 同省は九二年の冷凍車事故、九九年の中国JRバス事故に関して監査していない。被害に遭った中国JRバスの担当者は「三菱や地元運輸局が調べて『いろいろな問題が重なった特異なケースで、原因は特定できない』との結論だった。当時は、それで済ませたが、今から思えば、もっときちんと調べていれば死者も出なかっただろうに」と悔やみながらこう訴える。

■「問題の大きさ双方が反省を」

 「ここまで問題が大きくなったのは、どっかで適切な判断ができなかったからでしょう。その点では、三菱側も国交省側も双方が反省すべきではないか」

 前出の三本氏もこう警鐘を鳴らす。「国交省は監査するといいながら、実際には企業にちゃんとした資料を提出するようにと命じるだけ。さらに役所側は天下り先を確保したいため、結局は通り一遍の手ぬるい監査で終わってしまう」


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040408/mng_____tokuho__000.shtml