2004年03月30日(火) 07時03分
仙台牛たん守れ 米産牛肉禁輸で価格維持限界(河北新報)
牛タンのまち仙台に再び危機が訪れている。牛海綿状脳症(BSE)問題による米国産牛肉の禁輸措置から3カ月、長年「牛たん焼き」の単品で商売してきた専門店は、品薄による仕入れ値高騰で価格維持が限界になってきた。メニューの多様化など知恵を絞り、先の見えない不安と闘っている。「仙台名物を守ろう」と、市民と業者が固いスクラムを組む。
<仕入れ値2.5倍に>
炭火の煙が立ち込める店内の奥に、目新しい値札が掲げられた。カウンターに目を移すと、客が「『仙台の牛たん』を守ろう!」と書かれた署名簿に、一人また一人と記入している。
市中心部に店を構える「味太助」。今月上旬、一人前900円の「焼き」(5枚)を夜に限って100円値上げした。店主の佐野和男さん(57)は「人件費を削っても、値上げは避けられない。仙台牛たんは高い、というイメージを持ってほしくないのだが」とため息をつく。
仙台市は国内年間消費量約4万9000トンのうち、1割近い約4000トン(東北農政局推計)を食す大消費地だ。関係者によると、市内の専門店は約100店舗。土産品などを合わせた市の経済効果は200億円超に上るという。
現在、米国産牛タン(禁輸措置前の確保分)の仕入れ値は、1キロ当たり約2500円と禁輸措置前の2.5倍近くに跳ね上がっている。豪州産も約3倍に急騰、「焼き」の原価率は「限りなく100%」(市内の専門店)の状況だ。
<新メニュー開発>
そんな中、少しでも原価率を下げようとメニューに知恵を絞る店が出始めた。市内に7店舗を構える「喜助」は、肉質が硬く従来は使用しない舌先部分を使ったカレーを提供。在庫の「枯渇」を少しでも遅らせようという「苦肉の策」(同店)だ。
宮城県内に14店舗を展開する「たんや利久」(岩沼市)も「主役はあくまで牛タン」と前置きしながらも、山かけ丼やマグロ丼などのメニューで補っている。
15業者でつくる「仙台牛たん振興会」は値上げを模索する。利益率と客離れの両方を勘案すると、上げ幅は「150円が限界」(同振興会)で4月以降、この範囲内で改定に踏み切る店もある。
国内で初めてBSE感染牛が発覚した2001年当時、牛タン専門店に組合などはなく、廃業する店も出た。
今回、味太助とその系列店のほか、「振興会」の会員ら合わせて約40店舗が署名活動を始めた。業者の結束が奏功し、これまでに集めた署名は約3万人分。4月下旬にも、署名簿を添えて米国産牛肉の早期輸入再開を政府に求める予定だ。
<支援の輪広がる>
市民の応援も大きな支え。ホームページ上で署名活動を行う「仙台牛たん応援団」には約7000人分の署名が集まった。仙台市も国など関係機関への働き掛けに協力を表明するなど、支援の輪が着実に広がっている。
日本への牛肉輸出再開に向け、米民間業者の自主的全頭検査が検討されているが、実現の見通しは立っていない。2度目の危機を迎えた今、米国産在庫切れをにらみながら、支援運動は市民を巻き込みその輪を広げた。「商売の枠を超え、食文化を守りたい」。そんな地域の熱い思いが伝わってくる。
「仙台名物を守ろうという市民の気持ちをあらためて実感している」と振興会の大川原潔会長(49)。「焼き肉店や牛丼店など多くの外食産業が同じように苦しんでいる。われわれが代弁者となって、早期打開につなげたい」と決意を新たにする。
[仙台の「牛たん焼き」]終戦後の1948年、「味太助(あじたすけ)」の故佐野啓四郎氏が、駐留米軍が食さない牛の舌をもらい受けたのが始まり。5—6ミリと厚めにスライスした牛の舌(タン)を塩、コショウなどで味付けし炭火で焼く。焼きの場合、一頭の舌(1.5キロ)のうち、500—700グラムしか利用できないため、大半を外国産に頼っている。仙台では米国産が約7割(東北農政局推計)を占める。独特の歯応えとうま味が特徴で、「焼き」と麦飯、テールスープの3点セットが仙台の定番。
(報道部・加藤弘子)
(河北新報)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040330-00000003-khk-toh