2004年03月22日(月) 10時36分
船井農場からの飛び火 連載「何が起きた(5)」(京都新聞)
高田養鶏場で進められた鶏の処分作業。今月11日に完了した(3月9日、京都府丹波町)
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2月27日朝。京都府丹波町の高田養鶏場にファクスが入った。5キロ離れた浅田農産船井農場で鶏が大量死したことを、府南丹家畜保健衛生所(八木町)が知らせていた。高田権四郎社長は不安に感じた。「鳥インフルエンザとは書いてなかったけど、えらいこっちゃ」
▽ウイルス防止に「みんなぴりぴり」
すぐに郵便受けや呼び鈴を道路側に移した。敷地への立ち入りを制限した。洗浄機を購入して車両を消毒していたが、さらに念入りにした。鶏舎内の見回りも増やした。「ウイルスが入らないよう、みんなぴりぴりした」。役員で長男の孝志さんは当時の緊張を思い起こした。
6日後の3月3日朝。「変やな。いつもより多い」。鶏舎を見回っていた孝志さんが、元気に歩き回る鶏の中で、死がいを見つけた。集めると、いつもより多い11羽になった。
すぐに同保健衛生所に連絡した。獣医師の資格を持つ孝志さんは、鶏舎入り口の部屋で4、5羽を解剖した。うち1羽の消化器に異常を見つけた。しかし、原因は分からなかった。その後の見回りで、死がいはさらに増えた。「万が一との思いもあったが、消化器系の病気と信じたかった」
▽陽性反応の電話に言葉失う
午後10時ごろ、死んだ5羽を簡易検査した保健衛生所から電話が入った。「3羽から陽性反応が出ました」。家族は言葉を失った。「対策を取っていたはずなのに」。船井農場からの「飛び火」を疑った。
府の立ち入り調査が、翌日未明まで続いた。「ウイルスの確定まで時間がかかる。処分に応じてほしい」。白い防疫服姿の職員は高田社長らに頭を下げた。「100%確実じゃないでしょ」。孝志さんは疑問をぶつけた。曽祖父から94年続く養鶏業。「鶏を処分すれば、今後の生活の見通しが立たない。陰性の望みを捨てたくなかった」
早朝、高田社長が決断した。「1日も早く、住民や同業者に安心してもらわんと」。確定を待たず、すべての鶏を処分するのは異例だった。
今月11日、隣りの府立丹波自然運動公園で処分した鶏を埋める作業が終わった。「もう少し早く、封じ込んでくれていたら」。孝志さんは唇をんだ。 (京都新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040322-00000014-kyt-l26