2004年03月06日(土) 12時30分
社説2 国民も裁判員に一肌脱ごう(日経新聞)
長い目で見ると、日本の民主主義の質を高め国民の政治参加の意識を変えるような法案の審議が始まる。政府は、国会に裁判員法案を提出した。この法律が成立すれば、国民は裁判官とともに刑事裁判の審理に加わることになる。約60年ぶりに刑事裁判への国民参加が復活する。
立法、行政、司法のいわゆる三権に分かれる国の活動の中で、司法は国民にとって一番遠い存在だった。裁判に参加するには、専門的な法律知識と訓練された事実認定能力が必要とされ、これまで国民は、裁判の運営をプロ任せにしてきた。その結果、国民が傍聴しても全く分からない裁判や国民の感覚と懸け離れた判決が現れるようになっている。
だが、犯罪者を適正に処罰し社会の安全を維持するということは、国民にとって最も身近な事柄である。プロに任せっぱなしにせず、国民自らが応分の権限と責任を持つのが、民主国家の本来の姿である。大半の先進国で国民の司法参加の道が開かれているのはそのためだ。
国民の司法参加には、裁判が分かりやすく納得のいく内容になり、スピードアップするメリットもある。
一番遠い国の活動である司法へも国民が参加するようになれば、国民の政治参加・社会参加の意識も変わってくる。貴重な政治参加の機会である国政選挙の投票率でさえ5割そこそこ、税金さえ払えば国民の義務は果たした、後は誰かがやってくれ、という「お任せ民主主義」から脱皮する契機となりうる。
このような裁判員制度の効果を最大限引き出すには、多くの国民が参加できる制度にすることが望ましい。裁判員休業制度や介護・子育ての肩代わり態勢など国民と企業の理解と協力が必要になろう。
自民党内には「嫌な人は辞退できる制度にすべきだ」との意見があり、それを政令で盛り込むべきだと主張している。だが、嫌な人は裁判員を務めなくていいとなると、広く国民の参加を求める制度の趣旨が骨抜きになる。辞退理由の柔軟な運用と国民が一肌脱ぎたくなるようなきめ細かな周知活動が求められる。
国会で徹底した議論をするのは当然だが慎重審議を理由に決定を先送りするのは制度を葬り去るものだ。
http://www.nikkei.co.jp/news/shasetsu/20040306MS3M0601306032004.html