悪のニュース記事

悪のニュース記事では、消費者問題、宗教問題、ネット事件に関する記事を収集しています。関連するニュースを見つけた方は、登録してください。

また、記事に対するコメントや追加情報を投稿することが出来ます。

記事登録
2004年01月23日(金) 00時00分

公的資金はどうなった? 東京新聞

 日本長期信用銀行−。約8兆円の公的資金を使い救済した銀行だ。長銀は新生銀行としてよみがえり、来月株式を上場する。表面上、銀行再生物語だ。ただ気になるのは、投入された公的資金の行方だ。上場で米投資グループが大もうけするといわれる中、惜しげもなく流れていった国民の金の後をたどってみると。

■救済に使われた総額は8兆円に

 「公的資金イコール税金の図式で語られることが多いがそうじゃない。国民の中には誤解されている方が多いようですが」。金融庁金融危機対応室の担当者が切り出した。

 さらに「公的資金は、預金者保護の観点から行われた金銭贈与の三兆七千億円、外資系金融機関リップルウッド・ホールディングスに営業譲渡した際の債権、株式などの資産買い取りの三兆八千二百億円、政府による株の買い取りの資本注入で三千七百億円になる」と説明する。やはり約八兆円が旧長銀救済に使われたようだ。さてこのお金は当然、戻ってくる−。

 担当者は「金銭贈与は、国債を取り崩し、預金保険機構を通じ行われた。これは全額が損失だ。救済のためのカンフル剤で、もともと返還してもらうことを前提にして投入していない」と話しながら続ける。「確かにこれは大部分が税金だ。金額で詰めれば三兆二千二百四億円が戻ってこない勘定になる」。ようするに一つの銀行を助けるため、少なくとも三兆円以上の税金が、すでに失われてしまったのだ。

 ただ公的資金のうち、政府による資本注入分について別の担当者が「一九九八年と二〇〇〇年に計六億七千四百万株を買っている。これは整理回収機構が金融機関から資金を調達した。優先株といって上場の恩恵を受けない株だが、配当として年間三十九億円が入っている。損ばかり強調される公的資金の中で、唯一と言っていいくらいの優等生的存在だ」と自慢げに話す。

 だが、どう説明しようとも、税金が失われた事実は動かしようがない。実は、国有化された長銀を買い取った米リップルなどが、今回の上場により「数千億円の株売却益を手にする」との見方が。これは日本国民が、税金で米国の資本をもうけさせる形だ。

 だが、金融庁の担当者は「じゃあ、破たん当時、日本の企業は長銀を引き受けたのか。どこの金融機関も手を挙げなかった。最後の最後になって外資が受けた。今になって『もうけるのはずるい』という声もあるが、リスクを負っているからこそ出る利益でしょう」と外資を弁護する。それならせめて、新生銀行の利益を、少しは失われた国民の税金に充当すべきでは。

 これについても担当者は「マスコミや国民の世論としては、そういう見方もあるが、(失った税を)損として計上するしかないんです」。

■どこへいった?感謝の気持ち

 金融庁が事実上、国民に“泣き寝入り”を求める中、助けてもらった新生銀行の姿勢はどうか。

 同行の担当者は「公的資金は、旧長銀の時代やさまざまなプロセスで行われていますが、この点に関し、過去、国民のみなさまにコメントしたことはありません。上場予定を発表した時点で、法の厳しい制限を受けており、公的資金に関しても同様の位置付け。上場時に社長がどういうあいさつをするかも、決まっていません」と感謝の気持ちは伝わってこない。

 慶応大学経済学部の金子勝教授(財政学)は、冷めた感覚で長銀再生物語を見つめる。

 金子教授は「米国のリップルらは、日本が間抜けなのを、ビジネスの世界から見つめていた。不正をしているわけでなく、彼らにすればもうけない手はない。不愉快だが、これを教訓にして正しい方向に向かわないといけない」と指摘した上でいう。

 「一九八〇年代に日本企業は世界のあちこちでビルを買いあさり、外国のナショナリズムを刺激した。それが、不良債権ともなり、つけとなって、今、買いたたかれている。米資本を『ハゲタカ』と言うが、日本の銀行、企業は彼らを非難する資格があるのか」

■リスクに対するリターンは当然

 第一生命経済研究所の熊野英生主任研究員も「結果論から見ると、ぬれ手でアワに見えるが、当時は外資しか旧長銀の買い取りに手を挙げなかった。日本は嫉妬(しっと)の文化で、あたかも不労所得のように指弾するが、リスクに対するリターンと考えるのがフェアでしょう」と資本の論理を分析する。

 同時に熊野氏は「当時、最終的に長銀を破たんさせないために、国有化を政治が決断した。なぜ、公的資金を入れるかといえば、景気を回復するためだった。失った公的資金は、日本が初めて直面した金融不安の高い授業料と考えるしかない。もっとも国民が、多額の公的資金を投じた成果を、実感できないでいるのも事実だが」と指摘した。

 経済評論家の三原淳雄氏は、「国民感情が納得しないのは分かるが、日本企業がカネを出さなかったのだからしょうがない。カネがないわけではないのに何で買わなかったのか、それが悔しい。でも割り切らないといけない。市場原理に感情を入れるのは間違い。外資は計算ずくでやってくるのだから。したたかになれない日本は外資を見て学ぶしかない」と説く。ただ「当時、日本企業が『長銀を買う』と言ったら、袋だたきにあっただろう。すでに大蔵省(当時)もたたかれ、当事者能力を失っていた」としながら、責任の所在を金融行政に求める。

 「責められるべきは誰か、ということだ。護送船団方式で、はしの上げ下げまで指導してきた失政のつけだ。バブル期に『貸し出せ、貸し出せ』と過剰融資をあおったのは誰か。行政の不作為の罪をあらためて見直さないといけない」

■高収益の実態は「瑕疵担保特約」

 一方、エコノミストの紺谷典子氏も、行政に批判の矛先を向ける。

 紺谷氏は「竹中さん(金融・経財相)は高収益をあげたリップル下の新生銀行を利益を出せない日本の銀行と比較して、『立派だ』と絶賛する。でも高収益の中身が問題だ。瑕疵(かし)担保特約という契約のおかげで、債権が悪化するとその損失を国に肩代わりさせる特権を持っていた。さらにおかまいなしに貸しはがしを行った。同じ企業に貸している日本の銀行は、損失を小さくするため、不良債権の肩代わりを余儀なくされた」と実態を指摘しながら、再生物語を総括する。

 「高収益は、国や日本の銀行に損失を肩代わりさせた結果だ。国の負担とは国民の負担だ。新生銀行の成功は国民と日本の銀行、さらにはあこぎな利益追求の犠牲になった多くの日本企業の屍(しかばね)の上に立てられた墓標である。その前で泣くのは国民です」


http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040123/mng_____tokuho__000.shtml