2003年12月04日(木) 15時04分
<武富士>裏社会担当の「渉外部」存在 94年から数年(毎日新聞)
消費者金融最大手「武富士」には、94年11月から数年にわたって「渉外部」と呼ばれる部署があった。96年8月の株式の店頭公開を目指して、暴力団や総会屋とのトラブルを秘密裏に処理することを目的に設けられた。会長の武井保雄容疑者(73)の直轄組織と位置づけられ、元総務部課長、中川一博容疑者(42)も、同部課長代理として設立当初からのメンバーだった。裏社会とのトラブル処理担当。その実態の一端を、3人の元同部社員が毎日新聞に明かしていた。
渉外部は、渉外部長(当時)の下に、警視庁捜査2課OBの課長(当時)、中川容疑者ら2人の課長代理の計4人で発足した。渉外部長と課長は96年8〜9月、相次いで退職した。2人はその直後の同年10月、毎日新聞の取材に答えていた。
渉外部長は、武井会長から「表でできないいろいろの問題をやってもらいたい。オーナー直属で信頼関係がないとできない」と説得された。事業開発部長という表の活動からの転身。「お前の面倒は一生みる」とまで口説いた武井会長には、従うしかなかったという。
課長は、94年3月に警視庁を退職後、武富士が店頭公開の準備で警視庁OBを探していると知人に誘われ、途中入社した。当初、武井会長の身辺警護役だったが、女性秘書の尾行など社員の素行調査や中途採用社員の経歴調査なども担当するようになった。「捜査2課出身なのに公安部のような仕事をした」と話した。米国ラスベガスのカジノにも武井会長に同行。「武井会長の金の使い方は、金に厳しい金融業者とは思えないほど派手だった」と評した。
店頭公開を前に、武富士は右翼団体などから街宣車などで批判を受けたが、2人はこの右翼対策を依頼した暴力団との交渉も担当した。しかし、武井会長との間でそれぞれトラブルとなり、相次いで会社を去った。その後、渉外部は消えた。
中川容疑者は総務部課長を最後に昨年9月、無断欠勤を理由に懲戒解雇された。直後の10月、「渉外部長と課長が退職した後、私は2人の仕事を引き継いで、トラブル処理を担当した。社内に専用の対策室を設けて情報収集をやっていた」と取材に答えた。中川容疑者は周辺に「渉外部長から『武井会長は都合が悪くなると、全責任を押し付けてくる。気をつけろ』と言われていた」と、今回の資料持ち出しの理由を語ったという。(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031204-00001075-mai-soci